白老町東町の「カメラ撮影のむらかみ」の社長村上和義さん(82)が、49歳から水彩などで描いてきたスケッチが、24日までに1万枚に達した。愛用してきた1冊20ページのスケッチブックは501冊目に入った。描き終えた作品は2階の撮影スタジオに続く「階段ギャラリー」にずらりと並べており、「1万枚は目標でなく、マイペースに続けてきた結果。これからも好きに描いていくだけ」と穏やかに語る。作品の一部は9月1日に町内で開幕する芸術祭でも展示される。
村上さんは、町内で明治時代から続いていた老舗食料品店で、5人きょうだいの次男として生まれた。幼少期は、栃木県から白老町に疎開して3年間を過ごした版画家川上澄生(1895~1972年)の家によく遊びに行き、芸術への憧れを強くした。中学3年の時には、教諭の紹介で苫小牧市の画壇を先導した画家遠藤ミマン(13~2004年)のアトリエを訪ね、以来、生涯にわたり親交を深めた。苫小牧東高校では美術部で活動し、美術教諭を志望するようになったが、2年の時に父の親造さんが42歳で他界。大学進学を諦め家業を手伝い始めた。
妹も店の経営に携わるようになると「写真で身を立てよう」と、母の許しを得て1968年にカメラ店を創業。写真の撮影は構図や空間の感じ方で絵画に通じる部分があり、魅力を感じてのことだった。
その後は仕事に追われて絵画から遠ざかっていたが、「好きだから楽しもう。下手でも続けよう」と、50歳になる年の1990年1月から仕事の合間に絵筆を取り始めた。記念すべき第1作は、1月5日に完成させた籠に入ったミカン。スケッチブックを手に遠藤さん宅を訪ねると「また描き始めたのか、頑張れ」と激励され、ますます絵筆が乗ったという。描き直しをしないよう鉛筆は使わず、画材にはペンや水彩絵の具、色鉛筆、クレヨンなどを使用。画題には、花や葉、果実、人形など身近にあるものを取り上げてきた。
1万枚目のスケッチの奥付は8月16日。描き始めて33年7カ月と12日目となった。日に8枚描く日もあれば2日に1枚という日もあるが「マイペースで描きたいときに描くのがいい」と笑う。
9月1日に開幕する芸術祭「ルーツ&アーツしらおい―白老文化芸術共創」では、町内で開く幼児向け絵画教室で使っている「村上かん」の名でスケッチブック250冊(5000枚)を入れ替えながら展示する予定。次男で白老商業振興会理事長を務める英明さん(54)は「続けることの素晴らしさに接し、『かん』無量。本当におめでとう」とエールを送った。