<21>昭和40年 経済成長に追い付かぬ人間社会 非行急増、子どもたちが犠牲に

  • 特集, 郷土の戦後昭和史
  • 2023年8月18日
交通事故現場に集まる近所の人々(昭和40年4月)
交通事故現場に集まる近所の人々(昭和40年4月)
苫小牧灯台(年代不詳)
苫小牧灯台(年代不詳)
望洋寺の境内に造られた公園(昭和40年8月)
望洋寺の境内に造られた公園(昭和40年8月)
本山一苫小牧署長
本山一苫小牧署長
苫小牧市内自動車保有台数の推移
苫小牧市内自動車保有台数の推移

  

  港の整備が進んだ。有珠川(現在の苫小牧川)の河口近くに苫小牧灯台が完成し、苫小牧港管理組合が発足した。昭和40(1965)年という年は、東京五輪(昭和39年)後に景気が落ち込んだ、高度経済成長の息継ぎのような時期であった。それも11月には好況に転じ、戦後最長、57カ月間の「いざなぎ景気」に向かう。急成長のひずみであろうか、昭和39年をピークに青少年非行の高波が押し寄せ、40年の苫小牧はひどい状況になった。中学生による車上狙い、刃物で抵抗する15歳の3人組に警察官が威嚇射撃。小学2年生らによる「強盗」?…家庭の在り方が問われ、「家庭の日」などの取り組みが始まった。

  

 ■多発する青少年非行

  

  年明け間もなく、青少年が絡む事件が多発した。

  2月、車上狙いで中学1年生の少年が補導された。少年が盗んだのは、駐車中の車の中にあった61万円入りの紙包み。この頃の大卒初任給が2万円弱だから大金である。少年がこれを家に持ち帰って数えているところを、父親と兄弟に見つかった。その後がひどい。父親はそれを取り上げて父子6人で山分けにし、自分がキャバレー通いをしたことから足がついた。

  同月別件。テレビ番組「七人の刑事」が人気を呼んでいたせいだろうか、「警察の者だが」と偽の警察手帳を見せて現金を脅し取っていた少年がつかまった。さらに極めつけは、小学2年生と6歳がおもちゃのピストルで少女を脅して現金を奪った。

  翌3月、苫小牧市栄町をパトロールしていた苫小牧署員がアパートに侵入しようとした男たちを見つけ、職務質問の後、手錠をかけようとしたところ、見張り役だった1人が襲いかかり、刃渡り20センチの刃物を取り出したため、警察官は拳銃を抜いて地面に2発威嚇射撃。犯人グループは3人組で、逃げ出したため空に向けて1発。逮捕されたのは3人とも中学校を卒業したばかりの15歳だった。

  

 ■始まった子どもたちを守る活動

  

  戦後昭和におけるわが国の青少年非行は昭和26年、同39年、同58年をピークとする3波があったといわれている。第1波は貧しさからの「生活型非行」、第3波は「遊び型非行」。本稿で取り上げているのは第2波で、高度経済成長の中で学歴社会や管理社会に対する「反抗型」と位置付けられている。いや、急激な経済の成長に心の成長がついていけなかったと考える方がすっきりする。だから人が金を使うのではなく、金が人を操る。その社会の流れに最も脅かされ、犠牲になったのは子どもたちであった。

  非行の多発に「温かい家庭環境を」と、苫小牧市青少年問題協議会は、4月から毎月第1日曜日を「家庭の日」として、一家だんらんの時を過ごすよう呼び掛けた。

  子どもたちを守る活動は、地域にもあった。経済成長、人口の増加に生活インフラがついていけない。市街地を流れる旧苫小牧川では毎年、子どもたちの水死事故が起こった。幼い子どもが川に落ちて亡くなるのだ。特に住宅が立て込む浜町かいわい。道路は行き交う車も多くなった。だから子どもたちの遊び場は川辺に限られ、それが事故に結びついた。

  「地域に公園を」と母親たちが立ち上がり、地域のお寺の協力で境内に50坪ほどの小さな公園を造った。苫小牧市社会福祉協議会から助成金をもらい、滑り台とブランコを備え付け、周囲は木柵で囲い、白いペンキも塗った。管理は地域の婦人会が引き受け、見守り育てる活動が始まった。港の建設の足元ではそういうことが起こっていた。

  

 ■激増する交通事故

  

  犠牲といえば、この昭和40年ごろから、交通事故が激増した。苫小牧市内では昭和35年に152件(死者9人、傷者142人)だった人身事故が同37年には264件(死者11人、傷者232人)となり同41年には492件(死者20人、傷者387人)となった(苫小牧市史)。

  苫小牧署管内全体では昭和39年に632件の人身交通事故が起きた(苫小牧民報)。40年は3月末までに131件で、前年同期を大きく上回った。

  特に多発したのは国道36号だった。年明け早々の3日、糸井の国道36号でお年寄りがひき逃げされて即死。6日には白老の国道で小学生がはねられて亡くなった。前年は382件が国道36号での発生で、全体の6割を占め、40年は3月末までに63件、全体の約半数が国道36号で発生した。すでに、国道36号は「棺桶国道」といわれていた。

  4月、道警は苫小牧署に外勤交通課を新設し、警察官15人を増員。札幌方面23署のうち札幌中央、室蘭、札幌東、同北に次いで、署員の人数が5番目に多い署となった。ひき逃げが多いことから「ひき逃げ捜査班」が設けられたがその直後、苫小牧市中野の国道36号で3人を死亡させ1人にけがを負わせるというひき逃げ事件が発生し、酒酔いでダンプカーを運転していた男がスピード逮捕された。

  同署は重大事故の多発の要因の一つに「運転の未熟」を挙げた。運転ばかりではなく、車社会そのものが未熟だった。モノの発達とヒトの発達の速度の大きなちぐはぐが、そこにもあった。

  

一耕社代表・新沼友啓

  

 ■映画まねて小2と6歳が強盗?

  

  小学2年生と6歳による「強盗事件」は人々を驚かせた。テレビや映画、マスコミの悪影響ではないかと声が上がり、当時の本山一苫小牧警察署長は、親の真の愛情が大切だとして、次のように話した。

  「警察ごっこを思い立ったと口走っていたようだが、仮に親と一緒に映画を見に行ったとしても、親が受ける感動と子どもが受ける感動は違ってくる。悪い映画だから見てはだめだと頭から決めつけると、子供はなおさらその裏面を見たくなるものだ。よい映画は見てもよいが、(そうでない場面は)親は『あのようなことはよくないのだ』と、ものの善悪を教え導く事が大切だ。まして空想の世界と現実の世界の区別もよく分からない小学一、二年生の子供たちにはこうした指導が大切だ」

 (「苫小牧民報」昭和40年12月22日付) 

  

 【昭和40年】

  

 苫小牧市の世帯数21,068世帯、人口81,812人(国勢調査)

  

 【内外情勢】

  

  中教審が「期待される人間像」で愛国心強調/原水禁結成し原水協から分裂/長嶋茂雄(巨人軍)結婚/ベトナム戦争が激化、北爆開始/ベ平連反戦デモ/ソ連衛星人類初の宇宙遊泳/日韓条約締結/東京で初のスモッグ警報

  

 3月15日  苫小牧臨港簡易郵便局開局(44年1月中野郵便局となる)

 4月 6日  清水小学校開校

 4月17日  苫小牧駒沢短期大学開校

 5月20日  苫小牧灯台完成祝賀会

 5月20日  苫小牧海上保安署開署式

 7月 1日  苫小牧港管理組合設立(道と市の共同管理)

 10月22日 苫小牧・東京間直通コンテナ車運行開始

 10月30日 王子病院新築落成(表町に移転)

 11月22日 苫小牧郵便局局舎新築落成移転(本町から旭町へ)

 12月15日 道消費者協会苫小牧支部発足

 12月26日 高丘勇振取水場通水式

  

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