1969年から93年までの四半世紀、白老町内で町民に歌い踊り継がれたが、その後は忘れられていた「どさんこ音頭」。曲や踊りの全容は分からなくなっていたが、町竹浦在住のドローンカメラマン瀧谷栄さん(56)が4年ほど前、独自で調査に乗り出し、昨春以降に音源や映像を発見した。同町が来年迎える町制70周年に向けて、まちなかで復元させたいと、普及を目指している。
「どさんこ音頭」は、別所透作詞、重田恒雄作曲。ポロトコタン、白老仙台藩陣屋跡、温泉などを盛り込んで白老町の魅力を紹介した曲で、6番まである。
町民に発表されたのは69年7月。同町が町制施行15周年を迎える同年11月を前に、記念となる新たな観光事業として「白老どさんこ祭り」を開催し、この一環で歌と踊りを旧白老小学校の体育館で披露した。この後、同祭りは毎年夏に開かれ、社台から虎杖浜までの町民が参加して「音頭」を踊るパレードが繰り広げられた。
94年8月の第26回の祭りで、町制施行40周年記念ソングとして歌手天童よしみさんによる「しらおい元気まち音頭」が発表されると、この曲が役割を担うようになったが、それまでは同町の夏を象徴する曲として町民に親しまれた。
瀧谷さんは、長年耳にしてこなかった「音頭」のメロディーを「もう一度聴きたい」と、2019年ごろから音源探しを開始。22年春ごろに町内のリサイクルショップで7インチ版レコードを発見した。同年夏の「陣屋の日イベント」(仙台藩白老元陣屋資料館主催)でかけたところ、約30年ぶりに耳にした参加者から「懐かしい」という声が次々に寄せられた。しかし、踊りを覚えている人はいなかったため、踊りの復元に向けて調査を始めた。
今年に入って、北吉原で暮らし、04年に亡くなった元教員竹谷重雄さんが家庭用ビデオカメラに「音頭」の踊りを収録していたことが分かり、映像を保管していた町立図書館から借り受けて踊りの練習を開始。8月11日の「陣屋の日イベント」で、妻の京子さん(54)と成果を披露した。すると、断片的に振り付けを覚えていた虎杖浜越後踊り保存会や白老民族芸能保存会のメンバーが自然に加わり一緒に踊った。町民が浴衣やアイヌ民族衣装を身に付けたまま輪になって踊る姿に、瀧谷さんは「町が一つになれる曲だ」と感動したという。
虎杖浜越後踊り保存会の南昌宏会長(75)は「各地域の町民みんなで踊った思い出の曲。活気のあった白老を取り戻せそうな気がする懐かしさがある」と感慨深げ。白老民族芸能保存会の飯島宏之理事(41)も「新鮮さと懐かしさが同居した思いで踊った。いろんな姿をした町民が一つの輪になって踊る姿に目頭が熱くなった」と話す。
白老どさんこ祭りは、名称が94年から「元気まちしらおいどさんこまつり」に変わった。98年に「元気まちしらおい港まつり」が始まると役割を終え、踊りのパレードの歴史もやがて途絶えた。来年は町制施行70周年、「音頭」の発表から55周年、仙台藩白老元陣屋資料館開館40周年の節目に当たり、瀧谷さんは「音頭」の振り付け指導用の映像を撮影し、多くの町民が見ることができるよう、ユーチューブなどで配信していく考え。「各地域で踊りたいという動きが出てきて、まちのイベントで踊られるようになり、その輪が広がることを期待している」と話している。
1 男前なら樽前山よ アホーホ
惚れて連れ添う 白老岳に
なんでホロホロ かき口説く
※どんどん どんとこい どさんこ音頭
2 器量よしならポロトのコタン アホーホ
主の情けに 若葉の衣装
秋にゃアッシの 紅がすり
※
3 昔懐かし 仙台陣屋 アホーホ
風に泣いてる 一本松に
添えてやりたや 姫小松
※
4 砂の中から 吹き出すお湯に アホーホ
夜の渚も しっぽり濡れて
ネオン花散る 虎杖浜
※
5 チップチップで 毎日明ける アホーホ
熱い煙も 今宵のためと
燃えりゃ あの娘は ノーチップ
※
6 社台白老北吉原と アホーホ
萩野竹浦虎杖が浜は
カムイケライの お湯が湧く