今の子どもたちと接していて、心に寂しさを持っていると感じることがあります。若者に優しくなかったり、親が仕事で忙しく子どもとスキンシップが取りにくかったりする社会が、背景にあるのでしょうか。
そんな世の中になった原因について、身近な「野菜」に目を向けて考えてみました。
野菜を作る時、人が敵とする雑草や虫は、本当はその場所を豊かにするために生えたり、来てくれたりしているのだと言われます。それが自然本来の姿で、こうした草や虫の働きに上手に寄り添った野菜作りは「自然農」と呼ばれています。化学肥料、農薬、除草剤を使って、おいしく、たくさん収穫できるようにする慣行農法の一方で、環境への負荷が少なく持続可能な農法として注目され始めています。
虫食い一つ無いきれいな野菜や穀物は、ほとんど慣行農法によって栽培されたもので、それで私たちの食は支えられています。ただ、味は良くても少しの虫食いや規格に合わないものは許されないなど、目的から外れることに対しては、無視や軽視をしている気がします。人間社会に当てはめれば、多くの利益を追及するあまり、「使える」か「使えない」かといった先鋭化した見方をし、失敗を許さず、弱者をどんどん切り捨てかねないということです。
人や物を「ただ利用する」という思いと行いが当たり前になると、どんなに物やコンテンツが豊かになっても、どこか寂しさを感じるものです。今はそんなふうになってしまっているのではないでしょうか。
(いぶり勧学館館長・苫小牧)