コロナ禍がやや小休止のようで、日本ではインバウンド、アウトバウンドともに回復しつつあるらしい。私も今年になってから2度仕事がらみで海外に渡航している。で、直近の訪問先のバンコクにまつわる話題だ。
租界時代の上海が魔都として有名だが、昨今ではバンコクがそのイメージにぴったりのようだ。世界中から人々が金と欲のためにどっと押しよせ、そのぶんバンコクにはダークな空気が充満するようになった。
3週間前に若い後輩と一緒にバンコクに滞在していたおりのこと。後輩がある朝、血相を変えて私の部屋に飛びこんできた。
「先輩、とんでもない目にあいました!」
後輩は数日前に親しくなったアフリカ人の紹介で、アフリカ某国の亡命政治家の御曹司と知り合い、たちまち意気投合したのだという。その御曹司がいうには――。
「父親たちは国外脱出する際、大量の米ドル札を持ち出そうとした。でも、そのままじゃ見破られるから、ある薬品を使って百ドル紙幣を真っ黒い紙切れに変えてしまったんだ」
その100ドル紙幣が大量にバンコクにあるのだが、黒変した紙幣を元に戻すには特殊な薬品が不可欠なのだという。
そういいながら御曹司は、その特殊な薬品の中に真っ黒い紙切れをひたしてみせた。すると、あれまあ、見る間に変色して本物の100ドル紙幣になったではないか!
我(わ)が後輩がいちおう疑ってみせる。
「マジック? トリックなんでしょう?」
すると相手はさらに何枚かの真っ黒な紙切れを次々と薬品にひたし、全て本物の100ドル紙幣であることを証明してみせる。
そして相手がいうには――。
「薬品がそろそろなくなりかけているので、本国から取り寄せなければなりません」
つきましては真っ黒な100ドル紙幣10枚、総額1000ドルと手持ちの薬品の残り、合計20万円相当を特別に6万円で譲ってあげましょうというわけだ。欲に目のくらんだ我(わ)が後輩が一も二もなく5万円を差し出す。
ところが数時間後、いくら黒い紙切れを薬品にひたしても何も起こらなかったのはいうまでもないだろう。昔から手を変え品を変え、何年かごとにアジアの各国ではやっている典型的な詐欺の手口である。
こんなあまりにもベタでバカげていて、とぼけた犯罪が起こるのも、いかにも熱帯アジアの魔都ならではのことなのだろう。
★メモ 厚真町生まれ。苫小牧工業高等専門学校、慶應義塾大学卒。小説、随筆などで活躍中。「樹海旅団」など著書多数。「ナンミン・ロード」は映画化、「トウキョウ・バグ」は大藪春彦賞の最終候補。浅野温子主演の舞台「悪戦」では原作を書き、苫高専時代の同期生で脚本家・演出家の水谷龍二とコラボした。