私が「ゆのみ」のコラムを執筆するとは思ってもいませんでした。何を書こうかと悩んでいましたが、やはり初めてなので、西川良雄を少し知ってもらうことに致しました。
生まれたのは1951年、福井県から移住した開拓農家の次男として、豊浦町桜無番地で生を受けました。きょうだいは姉、兄、妹と私の4人です。小さい頃は飲み水やお風呂の水のために井戸の水くみが毎日の仕事でした。嫌で嫌で仕方ありませんでしたが、手伝いをしていました。
夏は盆地特有の暑さになり、冬は2メートル以上の大雪が降り、今で言う「素晴らしい自然環境」の中で育ちました。通っていた桜小学校は全校児童60人で、一つの教室に2学年の児童が学ぶ複式学級です。それが当たり前と思って豊浦中学校へ進学した時は、4クラス(1クラス45~50人)になり、われわれの同級生15人は散り散りばらばらとなり、なかなかなじめませんでした。
それでも何とか無事に卒業し、勉強しながらお金のもらえる日本製鋼所室蘭製作所へ機械訓練工として入社し、4年後に(通信教育を受けていたため)退社。既に苫小牧市の西川組に入社していた兄貴のつてで再就職ができました。その後、結婚して子ども3人を育て、孫4人に恵まれて老後は普通の生活を送っています。
と簡単に書きましたが、72年間の生きざまを今の時代と合わせながら、「ゆのみ」の中で詳しく述べていきたいと思います。特に、一般の人にあまり知られていないような電気と関係する工事や、発明と催し物などを含め社会環境の話題にも取り組んでいきますので、改めて1年間よろしくお願いします。
(電気工事西川組社長・苫小牧)