亡くなった母が、通院していた病院で投薬される薬の多さにストライキを起こしたことがある。80歳頃のことだ。ある日「もう飲まない」と決心したらしく、薬をごみ籠に捨てた。お医者さんや薬剤師さんには申し訳ないと思いつつ、母の「投薬」を認めて薬が減った。幸い体調に変化はなく、その後10年以上生きた。みとった医師の最期の診断は、老衰だった。ストと関係はあったのかどうか。
母と同じように、たくさんの投薬を受ける立場になった。朝昼晩の3度の食後に、錠剤が包まれているプラスチックやアルミニウムの包装をプチプチ、パリパリと指先で破り、爪の先で薬を搾るように押し出し、数個ずつ胃に流し込む。その作業のたびに母のストを思い出す。
根性なしなのか気が長いのか。面倒くさいとは思うものの、ごみ籠に捨てる勇気はなく、毎日、計10錠以上の、何度読んでも覚えられない片仮名名前の薬を飲み続けている。診察時には血液検査が行われる。もし数値に変化があれば、説明を求められたり、薬が増える可能性もある。長野や東京から、まるでアメリカのような恐ろしい銃声が聞こえる。取りあえず自分は健康の回復―そう言い聞かせながら、きょうもプチプチ、パリパリ。「あれ、一個少ない。ま、いいか」(水)