俳句の楽しみ

  • 土曜の窓, 特集
  • 2023年2月4日

  今、俳句に光が当たっています。某テレビ番組の夏井いつき先生の的を射た鑑賞と明快な添削に皆がうなずき、永世名人との軽妙なやりとりがお茶の間を沸かせています。これを見て、「俳句を始めようかな」と思っている人も多いことでしょう。

   私は「五十の手習い」で十数年前に俳句を始めました。現在も某俳句結社に所属し、札幌支部の句会にも参加し続けています。きっかけは職場の先輩の吟行(和歌や俳句を作るために名所などに出掛けること)にピクニックがてらお付き合いしたことです。その先輩と同じ風景すなわち俳句の題材を見て歩いているので、「俳句作ってみないか」と誘われました。

   私は、教科書の芭蕉の句くらいしか知らないのでちゅうちょしましたが、何回か作って見せているうちに、一句だけ合格をもらってやる気になったというわけです。そこで、こんな未熟な私が俳句の神髄を語るわけにはいきませんので、「俳句を始めようかな」と思っている人に、その後の私の拙い経験をお話ししようと思います。

   少しやる気になった私に先輩がまず言ったのは「高浜虚子の『五百句』を読め」ということでした。真面目にその教えに従って読みますと、次に俳句結社の仲間が集う少人数の句会に誘われました。初めて会った人たちに自分の俳句を見せることに強い恥ずかしさを覚えましたが、思い切って投句しましたら何とか流れに乗れて、句会の楽しさをちょっと味わってしまったのです。

   現代の句会の原点は、正岡子規がつくったと言われています。大まかに言うと、無記名の短冊に自分の句を書き、参加者全員の短冊をごちゃ混ぜにします。それらを手分けして清記用紙に書き写し、その用紙を回しながら皆で良いと思う句を選ぶ(「互選」と言います)という仕組みです。選ぶ時は誰の句であるか分かりません。先生も見習いも同じ土俵で評価されるという場なのです。

   「俳句を始めようかな」と思っている人は、作った俳句を他人に見せる恥ずかしさが第一の障害になっていると思いますが、目をつぶって見せてしまえば、それはすぐに慣れると思います。例えば、近くにいる優しそうな俳人を見つけて、初歩的な個人レッスンを受け、合格をもらえるようになったら、小さな句会に参加させてもらう。このようなステップで俳句の世界に飛び込んでみるのもいいのではないでしょうか。

  (AIRDO社長)

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