外を歩くのが怖くなった。人と擦れ違うだけでも体が硬直し、汗が噴き出た―。華やかな大都会で念願のアニメーターになって数カ月がたった頃、自身の異変に気付いた。落ち着かない気分を紛らわすため、酒が手放せなくなった。
日本が円高不況に陥った1985年、22歳で北海道から上京し、憧れの職を得たものの、心身の不調により1年余りで辞めざるを得なくなった。「今も当時の感覚がフラッシュバックすることがある」と言う。
苫小牧市で生まれ育ち、高校を卒業後、好きな絵の技術を磨こうと、札幌市のデザイン系専門学校で学んだ。就職先のアニメ制作会社で仕事に励んだが、心に押し寄せる重苦しい不安感が消えない。精神科に通院したが、一向に良くならない。「上司や同僚の中には励ましてくれる人もいたが、続けられなくなった」。挫折感を味わった。
その後、テーマパークの清掃員やレンタルビデオ店、居酒屋の店員など職を転々としたが、どれも長続きしなかった。病のせいできびきびと体を動かせない。「端からは怠けていると見られたと思う」。東京での生活は行き詰まり、苫小牧の実家に戻った頃は30歳を過ぎていた。
帰郷しても、不景気で仕事が見つからない。体調も優れず、病院で統合失調症と診断された。入退院を繰り返し、39歳でうつ病も発症した。「前向きなことが何も考えられなくなり、絵も楽しめなくなった」。それでも、相談に乗ってくれる人との触れ合いを通じ、回復の糸口を探し続けた。
転機になったのは、2002年度に苫小牧地方精神保健協会(現東胆振精神保健協会)が初めて実施した「心のアート展」。心の病を患う人を対象にしたアート作品コンクールに出した自身の絵が最優秀賞に輝いた。少し前向きになれた気がした。
浦河町に精神疾患者の自助グループがあることを知り、苫小牧でもつくろうと05年、同じ統合失調症に苦しむ仲間と「苫小牧SAグループ」を立ち上げ、代表を引き受けた。苫小牧市民活動センターで互いに悩みを打ち明ける週1回のミーティングを続け、年に1度の総会には他市の自助グループを招いて交流を重ねた。「集会に通ってから、入院することもなくなった」という参加者の声に自身も励まされた。
しかし、病の苦しみから逃れるように自ら命を絶つ仲間もいたなど、つらい経験もたくさんあった。さらに新型コロナウイルスの感染流行でミーティングができなくなり、この3年間は休止状況にある。
それでも、グループの看板を下ろすつもりはない。「SAのおかげでいろんな出会いがあった。支援してくれる人たちへの感謝の気持ちがあり、何とか残したい」と思っている。
(河村 俊之)
佐次清 靖(さじきよ・やすし) 1962年5月、苫小牧市生まれ。最近、学生時代から趣味で続けていたギター演奏のインターネット配信を始めた。各国の音楽ファンから反応があり、「新たな交流の可能性を感じている」と言う。苫小牧市東開町在住。