汗臭い学生服のポケットに、石川啄木の文庫版の歌集が一冊入っていた時期がある。今でも歌の幾つかを思い出し暗唱することがある。
自分は3人きょうだいの末っ子。甘えっ子だと冷やかされて育った。背負ってくれた母の背の温かさは今も覚えている。
4年前の晩秋。母の葬儀の後で義姉から、母が兄にかなりの数の手紙を送っていたことを聞いた。遠くに進学した兄が心配だったのか、十分な仕送りをできない理由の説明だったのか。兄はその手紙をずいぶん大切にしていたそうだ。悪性腫瘍の末期、兄は老いた母に先立つことが腹の奥深くの痛みよりもつらかったらしい。見舞うと「親よりも先に逝くのが申し訳ない。すまなくて」と、泣きながら何度も何度も繰り返していた。
母から一度も手紙を受け取った記憶がない。母は長男と末っ子の性格や理解力、記憶力の違いを知っていたのだろう。母が一人で眠る墓にお参りをするといつも啄木の歌が一つ、心に浮かぶ。「たはむれに 母を背負ひてそのあまり 軽きに泣きて三歩あゆまず」。孝行を表に出し過ぎ―との批評もある歌なのだが、温かい背中のお礼をしていない身にはつらく染みる。大きな忘れ物に気付かされる。
酔って足元が危うくなり、ホテルまで息子に背負われたことがある。足を傷めて若い友人の背中の世話にもなった。久しぶりの背中の高さは怖いが温かさはいつも心地よい。背負われてばかりの甘えっ子の感想。(水)