「お客さんから感謝されるというのは、とてもうれしいことですよ」
長年にわたり苫小牧市柏木町で生花店を営み、地域に親しまれてきたこれまでを振り返り、愛される店づくりへの決意を新たにした。
1944年2月、5人きょうだいの長男として、幌泉村(現えりも町)の漁師の家に生まれた。夏になると、家族総出で昆布干し作業に汗を流したことが、小中学生時代の記憶として今も鮮明に残る。地元の中学を卒業後、バスで1時間半かけて十勝管内広尾町の高校に通った。硬式テニス部に所属し、スポーツに励んだ学生生活だった。
高校を終えた後、札幌市の漁業水産講習所で1年間学び、郷里えりも町の庶野漁業協同組合目黒支所(当時)で働いた。22歳の頃、知人の紹介で苫小牧市の建設資材会社に就職し、製造現場で19年間勤めた。
大きな転機を迎えたのは、42歳のとき。役員として活動に携わっていた地元柏木町の糸井北町第4町内会(現柏木町町内会)は住民の葬儀も担っていたが、会場に飾る花を駅前の店まで買いに行かなければならなかった。その店も午後6時には営業を終了してしまう。そこで一念発起。「自分が花屋を開けば地域のためになる」と、1986年に生花店を開業した。
店開きを決断したものの、花のことはよく知らなかった。しかし、そこは楽天家。「不安はなかったね」。同業者から助言を受けたり、専門書で勉強したりと、独学で花の知識を蓄えながら店を営んだ。開店当初から「地域のために」という一心で仕事に打ち込み、住民や客からの信頼を勝ち取っていった。
87年には市内のスーパーにも花を卸すなど、事業拡大にも力を入れた。現在は「コープさっぽろ・ときわ店」に納品。「たくさんの人々の助けがあって今がある」と振り返る。
生花店を始めて以降も、地域活動に熱心に取り組んだ。地元の商店などでつくる「糸井商栄会」の会長を務め、夏祭りの開催などにも長く関わった。
2013年から今年5月まで民生委員も担い、道知事や厚生労働相から感謝状が贈られる栄誉も得た。「自分ができる範囲で地域に関わることが、まちの発展につながる」。そんな思いで、国勢調査員も引き受けるなど、地域にとって無くてはならない存在となっていった。苫小牧ハスカップライオンズクラブのメンバーとしても活躍し、社会貢献の活動に当たった。
本業の生花店の店先に今も立ち、来店客や住民に笑顔を振りまく。店が地域の人たちに受け入れられ、大切にされていることを誇りに思っている。「これからも地元とのつながりを大事にしながら、店を続けていきたい」と力を込めた。
(陣内旭)
山端 勝也(やまはた・かつや) 1944(昭和19)年2月3日、幌泉村(現えりも町)生まれ。苫小牧市柏木町で「やまはた生花店」を営む。趣味はパークゴルフとカラオケ。いずれも30年以上続けている。苫小牧市柏木町在住。