釧路アイスホッケー連盟は今年、創立50年の節目を迎える。1972年9月に釧路スケート連盟から分離独立。初年度は小学生から一般の計26チーム632人の登録だったが、十條製紙の日本リーグ加盟(74年)などを経て、82年は小学年代だけで20チームを数えるまでになった。
2001年度は小学生494人、中学生226人、高校生107人の計827人。しかし11年度には小学生317人、中学生149人、高校生98人の計564人と10年で263人の将来を担う競技者を失った。
その年、氷都釧路に一つの希望の光がともった。競技指導、普及に取り組む団体「スキルチャレンジ」が発足。代表は、かつて十條製紙でプレーし長野冬季五輪(1998年)アイスホッケー女子日本代表コーチや、日本製紙の監督を務めた田中俊司さんを父に持つ田中雄也さん(39)だ。
3歳からアイスホッケーを始め、高校まで地元でプレー。苫小牧駒沢大(現北洋大)に進み、氷都苫小牧でも活躍した。
卒業後にふるさとへ戻り、その惨状にがくぜんとした。「競技レベルが高い地域なだけに育成指導が内向的だった。技術力で淘汰(とうた)され、やめてしまう子もたくさん見てきた」。日本製紙釧路工場の社員として仕事に追われながら、小学生対象のアカデミー創設や地域間交流、他競技との連携構築に奔走した。
団体は2015年に法人化。21年には勤務先の工場閉鎖に伴い脱サラし、競技普及により力を入れた。現在アカデミーには80人が在籍。釧路市内はもとより、北見市や根室管内別海町などにも教え子がいる。野球やサッカーなど他競技の掛け持ちも積極的に推奨している。
「数あるスポーツの中でアイスホッケーを選んでくれた子たちに、まずは競技を楽しんでほしい。そして少しでも長く続けてもらいたい」が一番の願い。毎年数十人単位で減っていた小学年代の競技人口は、2018年度以降1桁台の減少にとどまっている。「ようやく歯止めがかかってきた。勝負はここから」と意欲は尽きない。
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今年度からアジアリーグのひがし北海道クレインズを率いる齊藤毅監督(41)は釧路市出身。駒大苫小牧高出で、同チームをはじめ雪印、王子イーグルス、栃木日光など21季にわたってトップリーグで活躍した日本を代表するFWだった。
小学生の頃は冬の校庭にスケートリンクが造成され、授業はもちろん放課後には友人らとアイスホッケーに興じるのが当たり前だった。時代なりの恵まれた競技環境、十條製紙に端を発するトップチームの存在が釧路を氷都ならしめた。だからこそ「競技関係者だけじゃなく市や教育現場とも連携して、もう一度普及していかなければ」と思いを強くする。
氷都復興への思いは今季の選手獲得にも表れている。3月に武修館高を卒業したばかりのDF葛西純昌(19)、昨季までレッドイーグルス北海道に在籍したGK磯部裕次郎(25)など新加入の4人が釧路育ちの若手。「失敗を恐れずチャレンジしてほしい」。その勇姿が、将来のアイスホッケー界を担う小中高生の憧れになることを強く願う。
氷都を標ぼうする釧路と苫小牧の風土を知る一人。両市の差は「これから出てくる」とみる。釧路の日本製紙が18~19シーズンを最後に廃部。2年後には苫小牧の王子製紙がアイスホッケー部をクラブ化した。「競技振興を支えてきた実業団がクラブ化し、ここからどれだけ地域のために行動できるか、市民の方々と一体になれるかが大事」と語った。