三光代表取締役 土田 達夫さん(87) 何事にも全力の努力家 ビル管理の資格取得に励み会社設立 趣味は園芸 丹精込めサツキ育てる

  • ひと百人物語, 特集
  • 2022年7月2日
「人に恵まれた人生だった」と話す土田さん
「人に恵まれた人生だった」と話す土田さん
豊平町(現札幌市)の工事現場で働く土田さん=1954年ごろ
豊平町(現札幌市)の工事現場で働く土田さん=1954年ごろ
高校時代、駅伝大会に出場した土田さん=1951年ごろ
高校時代、駅伝大会に出場した土田さん=1951年ごろ
土田さんが建築に関わった苫小牧市末広町の高層市営住宅=1977年ごろ
土田さんが建築に関わった苫小牧市末広町の高層市営住宅=1977年ごろ

  長年にわたり建設やビル管理の業界に携わってきた。常に向学心、向上心に燃え、仕事関係の資格を次々に取得し、ビルメンテナンスの会社も営んだ。80代後半になった今も、建設関連のコンサルタントを務める。何事にも全力―。それを胸に人生を力強く歩んできた。

   1934年11月、小樽市で生まれた。少年時代は家計を助けるため、新聞配達に励んだ。走ることが好きで、小樽千秋高校(後に小樽工業高に改称)入学後、陸上競技部に所属。長距離ランナーとして小樽と札幌間の駅伝大会にも出場した。チームの副主将を務め、区間賞を数回受賞した。

   53年に高校を卒業後、札幌市内の工務店に就職。札幌周辺の鉄道官舎や学校の増改築現場などで懸命に働いた。資格を得て仕事に生かそうと約4年間、働きながら夜間、予備校に通って2級建築士の資格を取得したという努力家だった。

   58年、24歳の時、苫小牧市内の土木建築会社へ転職した。当時の苫小牧は港掘り込み工事の真っ最中。「多くの港湾労働者がまちに集まり、活気に満ちていた」と懐かしそうに振り返る。自身は木場町の社宅で家族と暮らし、道外企業の大規模工場やアパートなどの建設に関わった。

   70年代、市内の公営住宅の大型化が進み、自身も高層住宅の施工に当たった。まちに大型ビルも次々に立ち並び、建てるだけでなく、清掃や警備などビルメンテナンスの業界にも関心を抱くようになった。

   48歳で会社を退職し、ビル管理に必要な資格の勉強を重ねた。53歳でビルメンテナンス会社を設立。事業を軌道に乗せた後、70歳で後継者に道を譲った。現在は1級建築施工管理士や建築物環境衛生管理者の資格を持ち、コンサルタント業務を続けているほか、不動産業関連の会社も営む。

   若い頃から本を読むことも好きで、今も建築関係の書籍に目を通す。尊敬する建築家は「スペインのアントニオ・ガウディ、米国のフランク・ロイド・ライト、日本の丹下健三」と言い、巨匠らの業績に関する知識は深い。

   趣味の園芸は、50歳の時に始めた。仕事だけでなく、人生をより豊かにしたいとの思いからだった。東胆振さつき会に所属し、丹精込めて育てたサツキを展示会へ出品。それを毎年の恒例としていた。新型コロナウイルス感染流行によって今は会の活動を控えているものの、自宅で熱心に育てて花を咲かせては、家族の目を楽しませている。「植物というのは、手をかければかけるほど反応してくれる。それが園芸の魅力」と話す。

   最近、ロシアによるウクライナ侵攻に心を痛めている。自身も太平洋戦争で2人のいとこを亡くした。「ウクライナで悲惨なことが起こっている。戦争が世界から追放され、争い事のない社会になってほしい」と願った。

 (室谷実)

   土田 達夫(つちだ・たつお)。1934(昭和9)年11月5日、小樽市で生まれる。苫小牧市で警備を含めたビル管理の会社を経営していたことから、北海道警備業協会苫小牧支部の副支部長も務めた。苫小牧市三光町に在住。

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