苫小牧観光協会専務理事 藤岡 照宏さん(66) スポーツも仕事も仲間と力合わせて アイスホッケーに打ち込んだ青春 今後は競技の普及、振興に力

  • ひと百人物語, 特集
  • 2022年5月14日
「アイスホッケーから学んだことは多い」と語る藤岡さん
「アイスホッケーから学んだことは多い」と語る藤岡さん
近所の女性に抱かれる2歳ごろの藤岡さん=1958(昭和33)年ごろ、王子製紙の社宅屋上で。
近所の女性に抱かれる2歳ごろの藤岡さん=1958(昭和33)年ごろ、王子製紙の社宅屋上で。
法政大学アイスホッケー部の選手として活躍した藤岡さん(右)=1975(昭和50)年ごろ
法政大学アイスホッケー部の選手として活躍した藤岡さん(右)=1975(昭和50)年ごろ
苫小牧市役所に就職して間もなく行われた市職員親善旅行(手前右が藤岡さん)=1980(昭和55)年
苫小牧市役所に就職して間もなく行われた市職員親善旅行(手前右が藤岡さん)=1980(昭和55)年

  小学生の頃、内向的な性格だと、担任教師から言われたことがある。しかし、次第に変わっていった。「アイスホッケーのおかげかもしれないね」と笑う。

   苫小牧市で生まれ、父が勤めていた王子製紙苫小牧工場の社宅で育った。毎年冬、住民らが社宅の敷地に造るスケートリンクで遊んだのが、子どもの頃の思い出。防具代わりに漫画の本や座布団を体に巻き付け、仲間の子どもたちと一緒にアイスホッケーを楽しんだ。当時、大活躍していた王子アイスホッケー部の憧れの選手からもらったスティックが自慢の道具だった。

   アイスホッケーの魅力にはまった。あまりに熱中し、「夏の遊びの記憶がない」というほど。「運動は得意ではなかったけれど、ホッケーだけは人並みにできた。それが唯一誇りにできることだった」と振り返る。

   中学や高校、大学のアイスホッケー部で活躍。苫小牧東高時代のチームは少ない人数ながらも、「試合で相手を打ち負かしたときのうれしさは格別だった」と言う。「1人では何もできないけれど、みんなで力を合わせれば何でもできる」。部活動でそう痛感した経験は、その後の人生や仕事にも生きた。

   法政大学のチームで選手を務め、卒業後の1980(昭和55)年、苫小牧市役所に就職した。職員でつくるアイスホッケー部に入り、同僚とプレーや試合を楽しんだ。仕事では保護課や商業観光課などに携わった。商業振興の職員時代、市内のイベント運営にも関わり、学生時代のアイスホッケー部で学んだ「みんなで力を合わる」という大切さを実感した。市公設地方卸売市場の場長だった2016年、定年を迎えた。

   市役所職員として培った経験を生かし、同年5月、苫小牧観光協会の専務理事に就いた。苫小牧の長く続く直線道路など、市民には普通に見える景色も「他の地域の人たちにとっては新鮮。ちょっと見方を変えれば、感じ方は変わる」。観光協会の仕事を通じて、これまでの地元目線では気付かなかったまちの魅力がたくさんあることも理解したという。

   職場では趣味の日曜大工の技も発揮する。苫小牧観光案内所にある飲料水の設置台や新型コロナウイルス対策のパーティションも手作りした。まちに訪れる観光客と触れ合いながら、苫小牧市を発信する日々を過ごしている。

   今月下旬に開かれる観光協会の総会で、専務理事を退任する予定だ。だが、「社会から引退するにはまだ早い。恩返しをしたい」と思っている。苫小牧アイスホッケー連盟の理事長として今後は「アイスホッケーの普及や振興に努めていきたい」と晴れやかな表情で話した。

  (高野玲央奈)

   藤岡照宏(ふじおか・あきひろ) 1956(昭和31)年3月、苫小牧市生まれ。アイスホッケーのプレーヤーとして今も苫小牧市職員OBらでつくるチーム「とまチョップシルバースターズ」に所属している。苫小牧市柏木町在住。

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