4 「家系」から「地域」で受け継ぐ 伝承の単位に変化

  • 特集, 白老の衣服文化
  • 2022年5月7日
「ルウンペ」塩田のり子製作

  白老で見られるアイヌの衣服の歴史において、明治時代以前から続く家系で受け継がれてきた衣服が、いつ頃から白老という地域単位で受け継がれるようになったのでしょうか。諸説ありますが、観光の拠点を現在のポロト湖畔に移し、舞踊や博物館展示のために衣服が製作されるようになった昭和40年代ごろと言えそうです。

   新たに観光の空間として「ポロトコタン」が整備されたこの頃、そこに白老のアイヌ民族の歴史や文化を紹介する白老民俗資料館が1967(昭和42)年に開館しました。そして、チセ(伝統的な家屋)を建設し、屋内や屋外でアイヌ文化の解説を行い、広場では白老の舞踊を披露しました。

   白老民俗資料館では、館内の陳列品である展示備品としての衣服の製作と、舞踊を披露するため職員が着用する衣装としての衣服の製作が行われました。ポロトコタンの開園以降、舞踊の踊り手の人数を増やしたことから、衣装としての衣服が大量に必要となりました。しかし、衣服を製作する職員が少ないことや製作期間を十分に確保できなかったことなどから、直線的な模様で構成される展示備品として作られた衣服を参考にすることで、製作の簡素化が図られました。

   こうして展示備品としての衣服をモデルとし、ポロトコタンの舞踊のための衣装が製作されました。

   このような過程において、それまでのコタン(集落)における家族単位の「家系で伝承された衣服」から、組織単位の「白老地方という地域性を表す衣服」へと変化してきました。何らかの理由で衣服が家系に伝わらなかった人もいたことからも、白老の衣服に関する情報は組織に集約されました。こうして白老という地域で取り組むアイヌ文化の伝承の形がつくられてきました。

   (文=国立アイヌ民族博物館研究主査・鈴木建治。写真=同研究員・赤田昌倫)

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   民族共生象徴空間(ウポポイ)・国立アイヌ民族博物館(白老町)のテーマ展「白老の衣服文化」は15日まで。観覧料はウポポイ入場料(大人1200円、高校生600円、中学生以下無料)に含まれる。月曜休館。

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