20歳代から乗り続けた乗用車の名前を指を折って数えてみた。5台目を過ぎたあたりから車名があやふやになった。車には申し訳ない。
それぞれの車に、10万キロほどずつ乗ったと思う。通勤や日常の買い物、盆や正月の家族での帰省、山行など趣味の遠出。車は常に玄関の近くに待機し、家族の乗車を待ってくれていた。事故死者の増加が連日「交通戦争」という表現で報道された時代もあったし、排ガスや騒音公害が社会問題になり、車も運転者も肩身の狭い時代があった。今、自動車を取り巻く重大な問題といえば、高齢者の運転する車が操作を誤ってコンビニやバス停に突っ込む暴走事故だ。大きな社会問題になっている。
「事故を起こす前に」と免許証を返納する人が増えている。道内では2020年、2万人弱が返納したと報道されている。車のない生活は買い物や通院などにさぞかし不便に違いない。まだ若い、もう少し―。あれこれと理由を考えて決断を先延ばしにしてきたが、雪の積もった朝に物損事故を起こした。自分の不注意が原因だ。車のない生活は必ず、誰にでも訪れる。先延ばしは、むなしい抵抗だ。
ロシアのウクライナ侵攻が始まって2週間。自信満々に見える独裁者と、老いて従順な取り巻きたちの暴走は数百人単位の子どもたちの命を奪い、200万人以上のウクライナ人を故郷から引き剥がし、避難生活に追いやっても止まらない。執着とは何と醜く罪深いもの。(水)