苫小牧市の高砂町町内会の会長を務めて4月で8年目を迎える。同町(旧浜町)で生まれ育ち、実家の土地を引き継いで家を建て、今も同じ場所で暮らす。海に面した町の移り変わりを自らの目で見てきた。
1949年、雑貨店を営む両親の元に長男として生まれた。周囲は住宅が数軒立っていたが「現在の高砂処理場がある場所はデントコーン畑が広がっていた」と懐かしむ。汐見大通りに並行して曙公園まで延びる生活道路は当時どぶ川。住宅には水道が通っておらず、近所にある共同栓までよく水をくみに行った。
海沿いの野原には、戦時中にアメリカ軍が上陸した場合に備え、戦車を落として上がれないようにする背丈以上の「戦車壕(ごう)」が続き、しばらく歩いた汐見町には防空壕もあった。「現在の様子を見ると、生活様式、風景は様変わりしたね」と言う。
苫小牧東小学校、旧弥生中学校を卒業後、ものづくりに興味を持ち、苫小牧工業高校土木科、名古屋市の名城大学理工学部建設工学科へと進学。卒業後は苫小牧へ戻り、71年に市役所の土木課(当時)へ入庁した。
その後は水道部高丘浄水場、錦多峰浄水場、苫小牧港管理組合、都市建設部道路維持課などを経験。両浄水場や勇払マリーナなどは施工にも関わった。
重要な都市インフラを常に担当していたため「設備に異常が発生したときは昼夜問わず電話が入り、現場へ急行する日々だった」と振り返る。水道管の漏水や断水、台風による漁港区の浮き桟橋の破損などもあった。日常生活では常に天気予報を注視し、固定電話を枕元に置いて床に就いた。
最後は西町下水処理場の場長を務め上げ、12年ほど前に定年退職。再任用で市下水道部(当時)に3年間在籍した後、市役所業務から引退した。
町内会へは市職員時代から携わり、93年に会計を担当。2002年には副会長、14年から会長となり、現在に至る。古くからの顔なじみがいるなど、生まれ育った町だからこその喜びもあるが、非会員が増えた現在は大規模な町民一体の行事が開催しづらくなったことを悲しむ。かつては曙公園にスケートリンクを造成したり、花火大会や運動会を実施したりしたが「子どもが減ったことで、今はそれも難しくなった」。
高齢世帯が増えた分、町内の安全管理が重要になっている。冬場は自ら町内を歩いて路面の凍結箇所を確認し、会員と連携しながら滑り止めの砂を定期的にまくなどの活動を行う。「まずは安全で楽しく暮らせるまち。町内会運営はこれに尽きると思う」。その表情からは町を守る責任感が感じられた。(小玉凜)
奈良 幸眞(なら・ゆきまさ) 1949(昭和24)年3月、苫小牧市生まれ。趣味は釣りで、市職員時代の仲間と苫小牧港沖合で海釣りをするのが恒例。76年に結婚し、現在は妻と2人暮らし。苫小牧市高砂町在住。