「待っていても、後継者は出てこないかもしれない」
苫小牧市で20年余り、市民のスポーツ活動を支えるスポーツ推進委員を務めているが新たな担い手はなかなか育たない。
塗装会社で働いていた40代の時、市から「体育指導委員」として委嘱され、気付けば70歳目前。2019年には自治貢献者表彰を受けた。現在スポーツ推進委員は市内に41人いるが65歳以上が23人と半数を超える。子どもの頃からスポーツに親しむ機会を増やし「親についても、多少でも関わってもらう中で支える側を育成していけるような仕組みづくりが重要」と考える。
旧三石町(現新ひだか町)出身。学生時代は野球部に所属し、大いに体を動かしたが就職を機に苫小牧へ転居すると、いったんはスポーツから遠ざかった。再び関わるようになったのは20歳で結婚後、小学生になった子どもにせがまれる形で、町内会対抗のソフトボール大会に出る少年らを指導するようになったことがきっかけ。
その後、仲良くなった親たちと大人のソフトボールチームを立ち上げ、指導の過程で審判資格も取得。今でも胆振ソフトボール協会理事長を務め、全国大会の審判も頼まれる。「スポーツを通じ、たくさんの喜びを経験した。この人脈は私にとって大切な宝物」と笑顔を見せる。
□ □
しかし、かつてと同じような保護者も巻き込んだ地域活動が今も可能かと問われれば、疑問符が付く。4年前から川沿町町内会の会長を務めているが、「夫婦共働き世帯が増え、親たちは忙しく、価値観も多様化している」。少子高齢化が加速する時代に、幅広い世代が参加する活動に取り組む難しさを実感している。
一方で、可能性を感じる場面もある。フロアカーリングなど「軽スポーツ」の体験会を企画するとたくさんの高齢者が集まり、常に元気よく楽しむ光景が広がるからだ。
シルバー世代は新たなことにも積極的で、同町内会が昨年11月、障害者スポーツ「ボッチャ」の体験会を川沿町総合福祉会館で始めると、70代を中心に20人程度が集まった。重度の身体障害者向けに欧州で生まれたボッチャは昨夏の東京パラリンピックの正式種目になり、町内でもテレビ観戦を通じ、興味を持つ人が多かった。
シルバー世代の活力に着目し、年齢に関係なく楽しめる軽スポーツを地域づくりに役立てていく発想が芽生えた。昔、よく見掛けた公園での子どものボール遊びが大人からの「うるさい」「危ない」といった声を受け、制限されているような状況については「人間関係の希薄化も影響している」とみている。
「軽スポーツを通じ、異なる世代が交流できる場所をつくりたい」。心身の健康につながる上、地道な取り組みで顔が見える関係も築け、さまざまな地域課題の打開策を見いだしていけると信じている。
(河村俊之)