(3) 「給食の物語」 苫小牧拓勇小6年 丹波(たんば) 柚椛(ゆずか)さん

  • 特集, 苫小牧学校給食作文コンクール
  • 2021年11月22日

  みなさんは、給食が好きですか。私は、給食が好きです。4時間目になると、給食のにおいで元気が出ます。今では当たり前になっている学校給食ですが、どんな始まり方をしたのでしょうか。そして、そのときのメニューは、どんなものだったのでしょうか。六年間おいしく食べさせてもらっている給食の歴史や物語、メニューを調べてみました。

   給食は、1889年に山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で、貧しい家庭を対象としてお弁当の代わりに出していた物が、給食の始まりだと言われています。当時の給食は、今のようなメニューではなく、おにぎりや焼き魚、漬物などでした。そして、1946年、都内の学校で給食として全員に提供されたと言われています。その時のメニューは、小さくきざまれたダイコン、ニンジン、鮭、マカロニの入ったクリームスープでした。そこから、メニュー開発が進み、脱脂粉乳とトマトシチューなどが出されるようになったそうです。それからじょじょに、パンが出されるようになったり、脱脂粉乳の代わりに牛乳になったりと、メニューも増え続け、現在のような学校給食が出されるようになったと言われています。これが、給食の物語です。

   調べてみて分かったことは、当時のメニューは、空腹を満たすため必要な栄養素をメインとしており、おいしさやメニューの種類などは、さほど気にされていなかったように感じました。しかし、戦争などあった大変な時代においても、食べ物を食べること、「子供達に栄養を」ということを考えてくれたからこそ、給食は生まれたのだと思います。 私の祖母も、「脱脂粉乳は、まずくて飲めなかった」と言っていたのを聞いたことがあります。「給食=おいしい」という今の給食とは、かけ離れていることも分かりました。

   私は、現代に生まれてとても幸せだなと思いました。なぜならば、現在の給食は、メニューもとても豊富だからです。苫小牧のホッキカレーが出たり、ご当地メニューや子供達の考えたメニューが出たりと工夫がすごく、メニューを見るだけでわくわくし、幸せな気持ちになります。そして、何よりも給食がおいしいことです。私は、祖母のように、「まずくて食べられなかった」と思ったことは6年間で一度もありません。毎日「おいしいな」と、思いながら自然と笑顔になる給食を食べられることは、とても幸せなことだと実感しました。

   私は、1889年に給食の元となる機会を作ってくれてよかったと思いました。何事も昔の人の知恵があってこそ、現代があるということを思い知らされました。

   今、給食を作ってくれている人はもちろんですが、給食というシステムを考えてくれた人やご先祖様など、全ての関わってくれた人達に感謝をしながら大切に給食を食べたいと思いました。

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