厚真町ふるさと教育推進コーディネーター 舛田 仲永さん(61) 笑顔引き出す授業を 「まち誇れる子どもたちに」日々奔走 熱血教師から地域と学校の橋渡し役に転身

  • ひと百人物語, 特集
  • 2021年10月23日
「厚真っていいな、と思える体験をさせたい」と笑顔を見せる舛田さん
「厚真っていいな、と思える体験をさせたい」と笑顔を見せる舛田さん
2004年に出場した北海道マラソンでは完走を果たした
2004年に出場した北海道マラソンでは完走を果たした
教員になる前はフリースタイルスキー(エアリアル)の大会にも出場した=1986年
教員になる前はフリースタイルスキー(エアリアル)の大会にも出場した=1986年
イングリッシュキャンプの運営にも当たった=2000年代前半
イングリッシュキャンプの運営にも当たった=2000年代前半
釣りはたくさんある趣味の一つ=2000年代前半
釣りはたくさんある趣味の一つ=2000年代前半

  教員生活にピリオドを打ち、この春、厚真町で力を入れている「ふるさと教育」の推進コーディネーターとしてやってきた。「マーさん」のあだ名で子どもたちから親しまれ、地域と学校現場の”橋渡し役”として奔走する日々。「自ら体験することで『古里っていいな』『心が落ち着くな』と感じ、住んでいるまちを自慢できる子どもたちを育てたい」―。マーさんが描く構想だ。

   子どもの頃から30代半ばまでサッカー一筋で、仙台大学時代はインカレにも出場。その後、マラソンやペタンクを生涯スポーツとして楽しむなど、とにかく体を動かすことが好き。

   中学時代の担任に憧れ、将来は「体育教師」になるのが夢だった。大学卒業後、民間の体育教室勤務を経て1987年に念願だった教員に採用された。「学校の中では常にトレーニングシャツに短パン姿。スーツを着るのは入学式と卒業式くらい」と言い切るほどの熱血体育教師だった。

   部活動ではバレーボール部やスケート部の顧問を任され、全国大会への引率も経験。校長として赴任した伊達市の大滝中ではクロスカントリー同好会を発足させ、選手を全道大会に送り出す傍ら、自らも地方大会に出場してきた。

   97年から9年間と2009年からの3年間は、社会教育の現場でも汗を流した。旧早来町教育委員会時代は、町民プールの長期推進計画策定に携わり、水泳教室や指導者養成に尽力。体育指導委員の事務局も担当し、ペタンクやミニバレーなど誰もが気軽に楽しめる生涯スポーツの普及にも力を注いだ。

   その後赴任した足寄少年自然の家、森少年自然の家では、6泊7日の長期宿泊体験プログラムや冒険教育などを通じて「考え行動する力」「仲間と共同する力」の醸成に奮闘。胆振教育局では管内の教育委員、教職員の研修、研究会で講師を務め、社会教育の観点からさまざまな助言や提言を行った。

   3年前の胆振東部地震は、むかわ町の穂別中校長として体験。学校が避難所となり、職員と共にトイレの水運びや食料配布、物品の貸し出しなど10日間の避難所運営に当たった。

   豊富な経験を買われ、現在は厚真町教委に勤務。ふるさと教育の実践に当たり、地域のことを知ろうと各方面に協力依頼で駆け回り、スケジュールはびっしり。これまで放課後子ども教室と学校の授業を組み合わせた「学社融合事業」をスタートさせたほか、小学生のサーフィン教室や中学生の地場産業体験などをコーディネートした。

   「授業を通じて子どもたちが笑顔になる。そんな顔が見られたときに『やってよかったな』と感じます」とほほ笑んだ。(石川鉄也)

   舛田 仲永(ますだ・ともなが) 1960(昭和35)年7月、札幌市生まれ。恵庭南高校、仙台大学を卒業後、87年に現むかわ町の穂別中学校を皮切りに教員としてのキャリアをスタート。伊達市の大滝中、安平町の追分中、穂別中、安平小で校長を務め、今年4月から現職。社会人時代にフリースタイルスキー(エアリアル)で全日本大会5位入賞。ペタンクでは全国大会に出場する傍ら、普及委員としても活動する。千歳市若草在住。

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