樽前山を語る会副会長 渋谷 博さん(71)  郷土の象徴 市民の心に 引き継いだ父の遺志 交流の場盛り上げる

  • ひと百人物語, 特集
  • 2021年10月16日
創立30年を機に「同好の士を増やしたい」と話す渋谷さん
創立30年を機に「同好の士を増やしたい」と話す渋谷さん
小学校の運動会で記念撮影する(右から)弟の智さん、妹の智枝子さん、渋谷さん(左端は友人)=1958年ごろ
小学校の運動会で記念撮影する(右から)弟の智さん、妹の智枝子さん、渋谷さん(左端は友人)=1958年ごろ
西武百貨店と業務提携した鶴丸百貨店企画課長時代の渋谷さん(右から2人目)=1980年ごろ
西武百貨店と業務提携した鶴丸百貨店企画課長時代の渋谷さん(右から2人目)=1980年ごろ
父の勉さん(前列左から3人目)と正月を過ごした博さん(後列左)=2005年1月ごろ
父の勉さん(前列左から3人目)と正月を過ごした博さん(後列左)=2005年1月ごろ

  今年で創立30年を迎える市民交流団体「樽前山を語る会」は、父の勉さん(2016年に逝去)が郷土の象徴である樽前山(1041メートル)の美しさを将来へ語り継ごう―と1992年5月に結成。長男の博さんは父の死後、弟の智さん(69)と会の運営を引き継いだ。結成当初500人以上いた会員は、高齢化と会員の物故が相次ぎ、現在は132人にとどまる。「市民の心のよりどころとしての樽前山を通して、節目を機に会員が増え、市民交流が広がれば」と願う。

   50年2月、幌別村(現登別市幌別本町)で3人きょうだいの長男として誕生。父の勉さんは幌別のソーダ工場で守衛を務め、母テルさんの実家は漁師の網元。砂浜が広がる自宅前に、たくさんの船団が引き揚げてくる光景が今も懐かしいという。

   幌別小学校に入り、8歳の時に末の妹の智枝子さんが心臓病で亡くなった。「運動会の日に写した写真がきょうだい最後の思い出。今でも妹の存在は心の支えで、家族の大切さを思う原点だ」と振り返る。

   65年に室蘭市の蘭東中、68年には白老町にあった北海道日本大学高校(現札幌日大高)を卒業。級友の勧めで活気にあふれていた苫小牧市への移住を決め同年、鶴丸百貨店に入社した。

   苫小牧の商業圏の環境変化に伴い苦労も多かったが、80年代の企画課長時代は、業務提携先の西武グループとの関係で山下清展を成功させた。退職する88年までに、西武ライオンズの優勝セールを5回ほど取り仕切り、「鶴丸創業以来の売り上げをつくれたことが喜び」と静かにほほ笑む。

   その後はデザイン分野や保険、ホテルの営業職にらつ腕を振るった。保険会社では全国3位の営業成績に輝き、50代で会社の盛り上げ役、宴会部長と呼ばれた。

   2005年1月の家族の集まりで、勉さんから「会の引き継ぎを考えておいてくれ」と頼まれていた。16年11月に亡くなった勉さんの葬儀には、会員ら数百人が参列してくれた。「父の偉大さというか、会が多くの人の支えや大事な場になっていることに驚かされた」という。弟の智さんと一緒に会を支えていく決心をし、妻の八千代さんや家族とも話し合い、父の遺志を引き継ぐことにした。

   会の行事はパークゴルフや登山など。会員の提案で楽しみたいことを楽しんできたが、30周年を迎え、社会に恩返ししたいという気持ちが会員の中で高まってきたという。「旗の波」など20年続く10月の交通安全運動はコロナ禍で30人程度の参加にとどまっていたが、今年は「多い時は50人以上が集まってくれる」とにっこり。「今後も縁の下の力持ちとして、市民交流の場を盛り上げたい」と目を輝かせた。(半澤孝平)

   渋谷 博(しぶや・ひろし) 1950年2月、幌別村(現登別市幌別本町)生まれ。父の勉さんが結成した「樽前山を語る会」の副会長兼事務局長。今月16、17日のたるまえサンフェスティバルでも会場の盛り上げ役を買って出る。2011年から弥生連合町内会館管理人。趣味はボランティア。

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