油彩画家 片山 弘明さん(74) アートに正解はない 独学で描き続けつかんだ夢 助け合いの精神大切に 売り上げ金寄付も

  • ひと百人物語, 特集
  • 2021年10月9日
「画家は子どもたちの憧れの職業になってほしいね」と話す片山さん
「画家は子どもたちの憧れの職業になってほしいね」と話す片山さん
国鉄鷲別機関区で働いていた頃の片山さん(左端)=1969年ごろ
国鉄鷲別機関区で働いていた頃の片山さん(左端)=1969年ごろ
高校の学校祭では、十字架にはり付けられたキリストに扮(ふん)した=1963年ごろ
高校の学校祭では、十字架にはり付けられたキリストに扮(ふん)した=1963年ごろ
国鉄職員時代に見たシラカバ並木の風景を描いた「道」=2020年
国鉄職員時代に見たシラカバ並木の風景を描いた「道」=2020年

  シラカバ並木の中の一本道が描かれた油彩画「道」。苫小牧市明徳町の画家片山弘明さん(74)が、20代の頃に歩いた旭川の風景を思い出しながら、2020年に完成させたものだ。「人生は曲がりくねった道のようなもの。今の年齢だからこそ、自分の歩んできた道を振り返って描けた作品だ」と語る。

   1947年、室蘭市で5人きょうだいの末っ子として生まれた。小学2年の時に母親を亡くし、以後は国鉄職員の父に育てられた。

   市内の中学校を卒業し、伊達市の高校へ進学。書店でファッションや歌舞伎の隈取りなどを取り上げた美術書に出合い、芸術に目覚めるきっかけになった。美術部に所属し、油彩画はこの頃から描き始めたという。

   卒業後は金銭的負担を考えて進学はせず、父の後に続き国鉄に入社した。登別市の鷲別機関区と苫小牧市内の運転区で計20年ほど、操車場の作業員として勤めたが、心の中には常に「自分には違う人生があるはず」という気持ちがあった。

   38歳の時、転機が訪れた。それまで仕事の傍ら、美術団体の光陽会に所属して独学で作品を描き続けていたが、会員の一人が「プロにならないか」と、画家らが所属する東京の出版社を紹介してくれた。長く勤めた国鉄を辞めることに一抹の寂しさもあったが、「これが自分の通る『道』だ」と決意した。

   「国語や数学と違い、アートには正解がない。1番、2番がないところが好き」と絵の魅力を語る。だが、答えが存在しないからこそ苦しんだ時期もあった。画家に転向した当初は絵が売れず、年間1200点以上の作品を描き続けて表現方法を模索した。

   現在、片山さんの名前は全国の美術作家を紹介する美術年鑑の上位に掲載され、全国各地から出品依頼が絶えず舞い込む。47都道府県全てで個展を開いた経歴も持つ。今年は12月に大阪で行われる一流作家作品の入札会、山陰地方と九州で行われる即売会に作品を提供予定だ。「苫小牧から名士の作品展に選んでいただいたのはうれしい。これまで出会ってきた皆が応援してくれたおかげです」と笑顔を見せる。

   「他人を大切にする人こそ成功していく。絵画も作家の人柄が大事」と話す片山さん。どんな人にも決して威張らず、明るく接する姿が魅力的だ。人を思いやる心を強く持ち、これまで作品の売り上げ金を胆振東部地震の被災地や、新型コロナウイルス禍の最前線で戦う医療従事者らなどへ積極的に寄付してきた。

   今後は母子家庭でも十分に子育てができるような福祉の基金を設立したいと言う。「助け合いの精神で人を喜ばせたい。不幸な人がいたら自分も楽しくないからね」(小玉凜)

  片山 弘明(かたやま・ひろあき) 1947(昭和22)年1月、室蘭市生まれ。光陽会奨励賞、芸術新聞社賞ほか多数受賞。2018年から苫小牧市明徳町1にアトリエ「エターナル」を構える。妻の逸子さん(76)との間に息子が2人、現在は孫2人にも恵まれている。同町在住。

過去30日間の紙面が閲覧可能です。