苫小牧レクリエーション協会会長 斎野 伊知郎さん(70) 活動で得たつながり一生の宝 誇りに思える故郷へ 地域活性化に尽力

  • ひと百人物語, 特集
  • 2021年9月11日
市役所入庁のきっかけとなった論文を手にする斎野さん
市役所入庁のきっかけとなった論文を手にする斎野さん
苫小牧レクリエーション協会の設立に携わる(前列左から2人目が斎野さん)=1987年
苫小牧レクリエーション協会の設立に携わる(前列左から2人目が斎野さん)=1987年
然別湖で行われた市役所の観楓会で、妻の智賀子さん(後列左から3人目)と知り合った斎野さん(同5人目)=1974年
然別湖で行われた市役所の観楓会で、妻の智賀子さん(後列左から3人目)と知り合った斎野さん(同5人目)=1974年
錦岡保育園の園長として、園児たちの成長を見守った(中央が斎野さん)=2017年
錦岡保育園の園長として、園児たちの成長を見守った(中央が斎野さん)=2017年

  オホーツク管内遠軽町で生まれた。古里のことを聞かれたら、胸を張って「自然豊かで、食べ物がおいしい良い町」と言える。苫小牧で生まれた自身の子どもたちにも故郷を誇りに思ってもらいたい―。苫小牧市職員として働く傍ら、苫小牧レクリエーション協会の創設や運営にも携わるなど地域活性化に尽力した。「活動で得た交友関係の広がりは一生の宝だ」と語る。

   酪農を営む家の第1子として生まれ、3人兄弟で育った。代々、長男の名前には先祖の名の頭文字である「伊」を付ける習わしで、現在も息子の伊久哉さん(43)、孫の伊楓生さん(14)へと受け継がれている。

   ジャガイモやカボチャも作っており、「子どもの頃に一生分食べた」と、大人になってからは好んでいなかったが、「最近は昔を思い出すからか、無性においしく感じる」と笑う。

   高校を卒業するまで、家業を継ぐものだと思っていたが、学業優秀な姿を見ていた父の伊一さんが、農業は収入に変動があって大変だ―と大学進学を後押し。北海道大学の水産学部に入った。

   当時、公害が大きな社会問題となっており、4年生の卒業研究では水銀に関して調べた。まとめた論文「大気及び降水中の水銀の定量」は高く評価され、1975年に日本地球化学会の学会誌に掲載された。

   苫小牧市ではこの頃、「苫小牧東部大規模工業基地開発基本計画」により将来、公害問題が発生するかもしれないと言われていた。自身が勉強したことが生かせる―と、74年に市役所への入庁を決めた。

   沼ノ端クリーンセンターの建設では、住民からダイオキシンや悪臭への不安が寄せられる中、同意を得るために奔走し、1年間に100回程度も沼ノ端に通い詰めた。ウトナイ湖野生鳥獣保護センターの開設にも尽力し、「近くを通ると今でも当時を思い出し、必ず立ち寄る」という。市営バスの民間委譲計画を進め、交通部長で退職を迎えた。

   プライベートでは、恵庭市や白老町のレクリエーション協会が主催する行事に子どもと一緒に参加し、87年に「苫小牧レクリエーション協会」の設立に関与。キャンプや樽前登山の企画などで多忙を極め、「家庭でのキャンプは9、10月にやっていた」というほどだ。

   「子どもたちと接しているのが一番楽しかった」と言い、2016年から錦岡保育園の園長も務めたが、園の創立50周年を見届け、今年3月に勇退した。

   「子どもたちに地元を分かってもらうためにも、苫小牧の歴史を残したい」と苫小牧郷土文化研究会の会長を今も務める。地域への愛は変わらない。

  (高野玲央奈)

   斎野 伊知郎(さいの・いちろう) 1951(昭和26)年3月、網走(現オホーツク)管内遠軽町生まれ。2人の子どもと3人の孫に恵まれた。苫小牧市役所を退職後は、苫小牧市福祉事業協会の事務局長や苫小牧観光協会の専務理事、錦岡保育園長を歴任した。苫小牧市北星町在住。

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