民族衣装をまとった祭司がいろりの火の神に祈りをささげる。祭具のイナウ(木幣)を並べた所に酒や食べ物を供え、フチ(高齢の女性)らが丁重に祖先の霊を慰める。7月10日、白老アイヌ協会が白老町虎杖浜のポンアヨロ川の河口で、恒例のシンヌラッパ(先祖供養)を行った。
儀礼の場の辺りには「アフンルパロ」(あの世への入り口)、「オソロコツ」(オキクルミの尻もち跡)などアイヌ民族の物語の舞台が幾つも残る。民族の系譜を持つ人たちにとって、ここは特別の場所。協会員ら20人が集まり、祖先の魂と静かに向き合った。
いろりの東側は神聖な空間だ。そこを見学者が通り抜けようとした。「入っちゃ駄目だよ」。協会の山丸和幸理事長(72)がすかさず注意した。「白老アイヌの精神文化を守り、後世に引き継ぐ。それがわれわれの役割だ」と言った。
アイヌ文化には地域性がある。言葉や踊り、文様の柄、チセ(家屋)の建て方もそうだ。儀礼の作法にも違いがあるし、白老では先祖供養をシンヌラッパと言うが、イチャルパ、イアレと呼ぶ地域もある。そうした地元の特色ある文化をどう守るか。「白老に民族共生象徴空間(ウポポイ)ができたからこそ、これから地元がしっかりとしていかなければならない」と山丸さんは話した。
それはなぜか。ポロト湖畔にあった民間の旧アイヌ民族博物館が、国のウポポイ整備によって2018年3月で閉館したからだ。旧博物館は、白老独自のアイヌ文化をよく知るアイヌ自身が運営し、地元に根差した調査研究や伝承、発信を担った施設。長く途絶えたイヨマンテ(熊の霊送り)を復活させるなど、伝統の復興と人材育成の役目も果たした。
一方、国立のウポポイは特定の地域に偏らず、アイヌ文化全般を扱う施設。白老で継承された文化を可能な限りプログラムや研究に取り入れているが、旧博物館と比べればどうしても地元への目の向け方が弱くなる。だから、ウポポイと引き替えに旧博物館を失ったことは、「白老の文化継承にとって影響は大きい」と山丸さんは捉えている。
もちろん、儀礼や古式舞踊、工芸などの知識、技術を身に付け、伝統をけん引する指導者は地元にいる。だが、調査研究で掘り起こした白老流の新たな知見を伝承活動に生かすといった学術的な体制はない。高齢の指導者が多い中で、伝承を持続させる土台の脆弱(ぜいじゃく)さも否めない。
旧博物館で学芸員を務めた経験がある北洋大学客員教授(アイヌ文化)の岡田路明さん(70)=白老町在住=は「白老アイヌ文化の調査、伝承は旧博物館に任せっきりだったため、地元にノウハウが蓄積されておらず、環境も整っていない」と指摘する。体制の構築に向けて、旧博物館職員も勤めるウポポイと、地元協会などとの連携を求める関係者もいる。
白老アイヌ文化の保存・継承がより重要になってきたことは町も認識し、23年度に建て替える白老生活館(高砂町)に活動拠点の機能を持たせる計画を立てている。しかし、活動の持続化や質の向上を図るための具体的な体制づくりまでは、考えが及んでいない。
町は今年度、アイヌ施策基本方針を改定し、現状も踏まえた事業の方向性を取りまとめる。アイヌ語の白老方言や地域の口承文芸を研究する地元グループへの支援、織物や編み物の伝統工芸に欠かせないオヒョウ、ガマなど自然素材の再生など、白老の伝統文化を未来へつなぐ事業をどこまで組み込めるかは不透明だ。
ウポポイの誕生で浮上した地元の課題。その解決に向けた町や関係者の模索が続く。
(おわり)
※白老支局・下川原毅が担当しました。