白老町社台に「ミナパチセ」という名の小さなカフェがある。ドアを開けると、切り伏せ刺しゅうのアイヌ文様を施した木綿の着物が目に止まった。店主の田村直美さん(50)は、このカフェを拠点にアイヌ文化を発信している。
最近、来店客からアイヌ民族について知りたいという声をよく聞くようになった。「白老にウポポイができたからでしょうね」と、アイヌの歴史や文化の発信拠点・民族共生象徴空間の開業効果を実感する。「アイヌ文化はすてきだと言ってくれるのはうれしいし、自分の自信にもなります」と顔をほころばせた。
カフェを始めたのは2017年。苫小牧市から郷里の社台に戻り、実家の隣に店を開いた。アイヌ料理は人気のメニュー。文様を刺しゅうした商品も売っている。イベントや音楽ライブに招かれては、体に宿るアイヌの心を吐き出すように先祖から伝わる子守歌を歌う。
出自をさらけ出せるようになって、今はとても幸せだと思っている。しかし、以前はアイヌという文字を見るのも、言葉を耳にするのも苦痛だった。子供の頃の嫌な体験がトラウマとなったからだ。中学生の時だった。友人らに「イヌ派、ネコ派?」と、どちらの動物が好きかと聞かれた。「イヌ派だよ」と答えると、友人らは「やっぱりね~」と薄笑いを浮かべた。あなたはアイヌだから―という意味だと、すぐに分かった。さげすまれ、深く傷ついた。
アイヌをルーツに持つ自分が好きになれなくなった。民族と深い関わりのある白老に居続けることさえも嫌になった。高校を卒業後、すぐに町から離れ、苫小牧で暮らした。しかし、心の痛みは消えず、結婚して子供が生まれる時、どうか自分の顔に似ないように―と願った。
時がたち、自尊心を失っていた自分を変える出来事があった。「アイヌ文化ってすごいよね」。知り合いの何気ない一言が心に響き、存在を認められた気持ちになった。先祖が連綿とつないだ精神文化を学び、伝えたいと思った。目を背けていた出自をようやく受け入れられるようになったのは、6年前のことだ。今は大正期の白老コタンでリーダーを担った曽祖父・森サリキテについて調べている。祖先から自分へつながる命の系譜を誇りとしたいからだ。
北海道から離れたまちにいればアイヌだと周りに知られない、だから郷里に戻りたくない―。本州で暮らす自分の子供がそう言ったと、知人から聞いたのは最近のこと。差別を恐れる人たちは今もいる。アイヌとして生きることを望む人、あえて望まない人など、多様な考えは尊重されるべきだが、血筋を隠さなければならない人がいる状況は不健全な社会。田村さんはそう思う。
何かのきっかけがあれば、アイヌとして生きる自信が持てる。「私の場合はアイヌの歌を歌ったりして、すごいと言われることで、もっとやってみようと。ルーツを生かせる場があれば、自分の価値を見いだせるのではないでしょうか」。例えば、民族の血を引く人たちが言語や文化を身に付ける学校を開設し、学んだ知識と技能を生かした仕事を創出する。アイヌ文化の研究・教育機能も備えた国立アイヌ民族博物館を構えるウポポイは、学校の専門教育をサポートする。先住民族の政策に力を入れるニュージーランドなど、海外を見渡せば先進例は幾つもある。
アイヌが民族として誇りを持って生活できる社会の実現―。国はその理念の下にウポポイを造った。理念を理想で終わらせるのでなく「きちんと環境づくりを進めるべき」と言う。そうした国の本気の政策が差別のない民族共生に近づくと考えている。