苫小牧ボート協会会長 丹治 秀寛さん(70) 自然との触れ合いも魅力 競技発展に尽力市功労賞を受賞 若い世代への普及願う「スポーツに打ち込んで」

  • ひと百人物語, 特集
  • 2021年7月24日
ボート競技の普及に貢献してきた丹治さん
ボート競技の普及に貢献してきた丹治さん
懸命にオールをこぐ丹治さん(左)=1990年代
懸命にオールをこぐ丹治さん(左)=1990年代
市民大会で優勝したメンバー(右から2人目が丹治さん)=1990年代
市民大会で優勝したメンバー(右から2人目が丹治さん)=1990年代
市民レガッタ大会で競技関係者と(前列左から2人目が丹治さん)=2017年7月
市民レガッタ大会で競技関係者と(前列左から2人目が丹治さん)=2017年7月

  苫小牧で運送会社を経営する丹治秀寛さん(70)は、苫小牧ボート協会会長として競技発展に尽力してきた。「底辺の拡大がまだまだ。自然と触れ合いながらできるスポーツとして、ボートに興味を持ってもらいたい」と話す。

   苫小牧市植苗生まれ。植苗小、植苗中を経て駒大苫小牧高校に進学した。卒業後は北海道自動車短大で自動車整備士の資格を取得した。

   高校時代は陸上部に所属し、中長距離選手として活躍した。札幌から小樽までの駅伝大会「札樽駅伝」に出場。沿道の観客に見守られながら5キロを完走し、たすきをつないだ。「声援を受けながら走ると力が出て、いいスパートを切れた」と当時を振り返る。

   短大卒業後の1971(昭和46)年、丹治運輸に入社。78年には丹治秀工業に入社し、2000(平成12)年に社長に就任した。

   苫小牧ボート協会の40周年記念誌によると、王子製紙苫小牧工場が1969年に漕艇部を創部し、札幌漕艇協会に加盟。「支笏」と「樽前」の2艇から苫小牧のボートの歴史が始まった。78年には市民大会を初開催。翌79年、現在も年に1回開かれている「苫小牧市民レガッタ」が開催された。

   丹治秀工業(当時)にも同時期にボート部「グリーンマイスター」が立ち上がった。3チームが組めるほどの部員が所属。大会では、こぎ手4人と舵取りを担う「コックス」の5人で競う団体戦に出場し、丹治さんもこぎ手として活躍した。大会開催や練習には丹治林業が所有する「丹治沼」(通称・白鳥湖)を使用した。最大幅1・1キロの沼にコースが設置された。

   苫小牧漕艇協会(当時)は80年、札幌協会から独立する形で設立された。丹治さんは設立当初から役員として携わり、理事長などの要職を歴任。競技発展への長年の功績が認められ、苫小牧市スポーツ協会の今年度のスポーツ功労賞を受賞した。

   同協会理事も務め、スポーツ振興に貢献してきた。「仕事のことを忘れて没頭できる」とスポーツの魅力を語る。中でも思い入れのあるボートについては「全身を使う競技。練習後の心地よい疲労感が素晴らしい」と熱く語る。「こぎ手の息が合わないとボートは進まない。協調性も身に付くスポーツ」と強調する。

   市民レガッタには最盛期で50チーム以上が出場することもあったというが、今年の大会は新型コロナウイルスの影響もあり、8チームまで減った。若年層への競技普及が課題となっている。「若い人にもっと興味を持ってもらいたい。ボートに限らず何かスポーツに打ち込んでもらえれば」と期待を込めた。

  (石井翔太)

   丹治 秀寛(たんじ・ひでひろ) 1951(昭和26)年、苫小牧市植苗生まれ。苫小牧ボート協会の理事長など役員として競技振興に貢献。現在は会長。苫小牧市交通安全協会理事や千歳市森林組合理事など数多くの公職を務めている。苫小牧市植苗在住。

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