2 コイノボリ大火、2時間半で1007戸焼失

「小保方卯市日記」1921(大正10)年、当館蔵

 1921(大正10)年5月1日、日曜日の午後1時20分ごろに、三条通6丁目付近から火災が発生した。

 火は町の中心部であった本町、幸町、元町を焼き尽くし、海岸まで燃え広がった。わずか2時間半で町役場、警察、郵便局、学校などの町の主要施設を含む1007戸(全焼998戸、半焼4戸、倒壊5戸)を焼失した。この火災によって1人が死亡、25人が負傷し、5350人が家を失った。同年の苫小牧町は3897戸、1万7285人であった。

 14(大正3)年に8代目組頭として就任し、その後31年の長きにわたり苫小牧の消防を支えた小保方卯市は、火災当日の様子を次のように記している(以下、筆者による現代語訳)。

 「直ちに現場へ駆け付けたが、もはや現場より東南に火の勢いが猛烈に進んでいた。消防組の三部および一部と、王子製紙、電化工業などの消防員が必死の力で消火したが、ますます暴風と化して、ついに火災発生から30分位で苫小牧尋常高等小学校(現在の苫小牧西小学校。大火で焼失し、矢代町に移転)の運動場に火が燃え移った」。

 火の回りが早かった原因は、小保方の日記にあるように北風が強かったことに加え、端午の節句を前に、各家庭で掲げていたコイノボリ(当時は紙でできていた)に火が付き、柾(まさ)ぶきの屋根に落ちて次々と延焼したためといわれている。それ故にいつしか「コイノボリ大火」と呼ばれるようになった。

 (苫小牧市美術博物館学芸員 佐藤麻莉)

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