苫小牧市植苗の自宅に作業場を構え、個人客からの注文を受け洋服の仕立てや修繕などを手掛ける竹田由紀子さん(76)。年に2回、市内で行われるハンドメード作家の作品販売の場「てづくり市」を主催する「美寿(みすみ)企画」代表も務める。「これまでの人生は、長男の病気無くしては語れない」と振り返る。
1944年、室蘭市で10人きょうだいの7番目として生まれた。母親が自宅の一室で呉服商を営んでおり、物心ついた頃から日常生活では着物を着るのが普通だった。
「将来に困らないよう、手に職を付けてほしい」という母親の願いのもと、中学卒業後に苫小牧市内の洋裁学校へ進学。姉夫婦が経営するタイヤ販売会社で経理業務を手伝いながら、縫製技術を学んだ。仕立ての発注は在学中から受けていたといい、卒業後は事務と洋裁作業を掛け持った。
66年に竹夫さん(81)と結婚し、3人きょうだいを授かったが、長男の憲一さん(47)が2歳の頃、はしかによる脳炎を起こして全身まひに。1カ月ほどで歩けるようになったが、翌年には脳腫瘍が発覚した。
「息子の命を助けるのが人生の使命だと思った」。治療にはワクチン接種による免疫治療を望み、賛同してくれる医者探しや手術で道内外を奔走する日々が続いた。
障害があっても普通学級で学びたいと、障害児の親や賛同者でつくる「共に育つ教育を進める会」の立ち上げにも携わり、市教育委員会へ理解を求めるための活動に尽力した。憲一さんは市内の小、中学校を無事に卒業することができ、「将来は通訳の仕事をしたい」と市内の英語教室に通った。
憲一さんは腫瘍の再発などで、これまでに10回以上の手術を経験。由紀子さんは入院先や自宅での看病を優先させるため、店舗を構えることはしなかった。
何世代にもわたって大切にされてきた衣類の直しやリニューアルの依頼も受ける。「依頼者の人生や思い出に入り込む仕事でもある。自分の二つの手でできることだけをやりたい」と弟子は雇わず、注文を受けることから裁断、縫製まで、すべて一人で行ってきた。
憲一さんは5年ほど前に重積けいれんで10日間の意識不明に陥り、歩くことはできなくなったが、現在は市内の障害者支援施設に入所し、順調な日々を送る。施設の近所に住まいを置き、竹夫さんと顔を見せに行くのが日課だ。
「手術や治療のたび、親として信じる道をまっすぐ突き進んできた」と言い切る竹田さん。「息子が今まで生きてくれたおかげで、自分の判断は間違っていなかったと思えます」とほほ笑んだ。(小玉凜)
竹田 由紀子(たけだ ゆきこ) 1944(昭和19)年7月、室蘭市生まれ。仕立ては市内外のなじみの客からオーダーを受ける他、プロのピアノ奏者のコンサートドレスなども10年以上にわたって手掛けている。趣味は音楽鑑賞と絵画展巡り。苫小牧市植苗在住。