「むかわ」。いつからそう呼ばれてきたのか。はっきりとしたことは分かりませんが、17世紀ごろに成立した松前藩の歴史書『新羅之記録』に鎌倉時代のむかわに関する伝説が残されています。「昔、この国では、上りに二〇日程、下りに二〇日程かかり、松前から東は陬川まで、西は輿依地まで人が住んでいた。右大将源頼朝卿が、奥州平泉へ出兵して藤原泰衡を追討した時、糠部津軽より多くの人々がこの国に逃げ渡り居住した」。
この伝説は鎌倉時代の1189(文治5)年に行われた鎌倉幕府と奥州藤原氏の戦いを題材としています。陬川と書いて「むかわ」と読ませるようです。現在使われている「鵡川」の字は明治以降に表記されるようになりました。それ以前は「武川」「武加和」「六川」「牟川」「ム川」などの字を当て、カタカナで「ムカワ」と表記されることも多く、いずれも「むかわ」と発音していたようです。
「むかわ」とは、何を指している言葉でしょうか。著名なアイヌ語研究者、山田秀三さんの研究成果によると、(1)ムカ~水の湧くところ(2)ムカップ~ツルニンジンのあるところ(3)ムカペッ~運ばれてきた砂で口を止められる川(ふさがる川)―という説が紹介されています。(1)は近世のアイヌ語通詞であった上原熊次郎氏の説。(2)は明治期にアイヌ語の辞典を出版した永田方正氏の説。(3)はイギリス聖公会の教師ジョン・バチェラー氏の説です。「むかわ」とはアイヌ語を起源とし、鵡川で観察できる自然の姿を表現した言葉と考えられていたようです。
鵡川の河口は年間を通じて絶えず形が変化しています。穏やかな時は砂嘴(さし)が延びて河口がふさがってしまい、ひとたび大水が出ると、砂が海に吐き出されて河口が大きく開かれます。ですからムカペッであれば、河口がふさがる川となります。ムカップはどうでしょう。今、鵡川河口でツルニンジンを探すとなると、なかなか難しいと思います。私は自力で見つけられなかったので、ネイチャー研究会inむかわの会長である小山内恵子さんに相談しました。
昨年8月のよく晴れた日の午後、まさかの市街地で野生のツルニンジンを見せていただきました。ツルニンジンの花の色はにじんだ濃い紫色。周囲の植物にツルを伸ばして絡み付き、小指の先がちょっと入るくらいの大きさのかわいらしい釣り鐘形の花が鈴なりに咲くのです。
小山内さんによると、ほとんど人手が入っていないような土地でなければ、ツルニンジンを見つけることは大変難しいそうです。ツルニンジンは環境省の定めるレッドリスト絶滅危惧IA類(CR)として、ごく近い将来における野生での絶滅の危険性が極めて高いものに分類されています。むかわの語源を今に伝える貴重な植物ツルニンジン。もし町内で見掛けたら、ぜひ教えてください。(むかわ町教育委員会、田代雄介学芸員)
※第1、第3木曜日掲載
(おわり)