コロナ禍のこんな時期だから、あえて救いのある話をしよう。
フィリピンには仕事にからめて、トータルでかれこれ数年間住んだことになる。仕事以外でも現地で奨学金制度「内山アジア教育基金」を主宰しているので、コロナ禍の前はほぼ毎年長期滞在をくり返していた。
1年半前に脳梗塞で倒れて右半身まひになったテニス仲間とその奥さまを案内してセブ島を訪れたおりのこと。
出発前に定宿にしているヒノデビーチというリゾートホテル経営者のジョシー夫人に相談してあった。
「親愛なるウチヤマさん、メールを拝読、どうか安心してください。これまでも体の不自由な方を何度も何人も当館で受け入れているので問題ありません」
そんなありがたい返事をもらっていた。
現地入りしてみると、なるほど総支配人でもあるジョシー夫人のもと、若いスタッフの全員が、何くれとなく我(わ)が身障者の友人の面倒を細かく見てくれている。
ホテル従業員のホスピタリティに大感激のご夫妻だった。が、お金を落としてくれる大事なゲストなのだから最高のもてなしをしてくれて当たり前という考え方もあるだろう。
ご夫妻をさらに感激させたのは、2人でホテルの専用車を使って、ごくふつうのショッピングセンターに出かけた時のことだ。
ホテルに戻ってくるなり、奥さんが興奮冷めやらぬ様子で我々(われわれ)にいう。
「フィリピン人って、ホントいい人ばかりなんですね。病気になった夫といろんな国を旅しましたけど、ここまでしてくれる国は初めてだとしみじみ思います」
外出先で何があったのかと思いきや――。
ショッピングセンターでどの売り場に行っても、店員や警備員たちが次々とよってきて車椅子を押してくれたのだという。頼んでもいないのに、というところがミソだろう。
エスカレーターに乗ろうとしても降りようとしても、必ず近くにいる従業員の誰かが、それどころか一般客までが、我先にとご主人の車椅子を取り囲むようにしてケアしてくれたそうだ。
そこのみならず、あちこちの観光スポットでも大通りでも駐車場でも、あらゆる場所で通りすがりのフィリピン人が当然のような顔で世話をしてくれたのだという。
立場を変えれば、現地に慣れすぎた私には見えにくいフィリピン人の素晴らしさがよくわかるということなのだろう。ご夫妻のほめ言葉を聞いているうちに、私はフィリピン人でもないのに、なぜか妙に嬉(うれ)しくなっていた。
★メモ 厚真町生まれ。国立苫小牧工業高等専門学校、慶應義塾大学卒。小説、随筆で活躍し「樹海旅団」など著書多数。「ナンミン・ロード」は映画化され、「トウキョウ・バグ」は第2回大藪春彦賞最終候補にノミネートされた。