東日本大震災の発災から約2週間が経過した2011年4月1日。苫小牧市生活支援課に勤務していた杉岡隆弘さんは、危機管理室への異動辞令と同時に被災した宮城県山元町への派遣業務命令を受けた。
同町では2~8日までの7日間、避難所の夜間警備と支援物資の受け入れ業務を担当。震災直後のまちの様子を「至る所で行方不明者の捜索が続き、避難所には人々の行き場のない感情があふれていた」と振り返る。
現地では津波で家を失った人や被害を免れた人、家族が行方不明になる一方で全員が無事だった人など、同じ”被災者”の立場でも状況は一人一人で異なっていた。その違いが不満を生み、町内各所の避難所にはあつれきが生まれ始めていた。ただ、そんな状況下でも住民がまとまり、避難所を円滑に運営する町内会もあったといい、未曽有の大災害に見舞われる中で「助け合い、前に向かおうとする人々の姿から地域コミュニティーの大切さを改めて学んだ」と語る。
帰苫後は被災地支援の経験を生かし、市内の防災備蓄品の見直しを始めた。町内会や市民団体などの要請を受けて防災出前講座で講師を務め、各町内会による地域防災計画の作成も協力。行政、企業、地域が一丸となって防災に取り組む様子に「災害に強いまちづくりが進んでいる」ことを感じたという。
ただ、時間の経過とともに市民の防災意識が徐々に薄れている印象も持っている。16年の熊本地震や18年に全国各地で相次いだ豪雨災害、さらに胆振東部地震など日本各地で自然災害が発生したが、東日本大震災直後のような地域全体の防災活動に発展する事例は多くなかったという思いがあるからだ。
市危機管理室の勤務は今年度で通算7年目。市が計画する防災行政無線屋外スピーカーの新設・改修工事などに携わってきた。災害情報や防災訓練情報を伝えるための設備で、地震や浸水といったさまざまな災害に備える目的で市内全域への配置を進めており、「全国瞬時警報システム(Jアラート)の情報伝達試験など、防災に関する情報を皆さんが耳にする機会を増やすことで防災意識の向上にもつながるのでは」と期待する。
自然災害が頻発する今だからこそ、10年前の大震災を思い出しながら「日ごろの備えを見直すとともに、万が一の時に自分は地域で何をすべきかをいま一度、皆さんに考えてもらえれば」と話している。
(姉歯百合子)
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東北地方を中心に多くの被害をもたらした東日本大震災。発生から10年目を迎える今、震災に関わった苫小牧の人たちに当時と今の心境を聴いた。全5回。