野球クラブチーム日本通運苫小牧元コーチ兼選手 山下寿雄さん(71) 仲間たちに感謝楽しい野球人生 現役引退「応援する側に」  「バントの切り札」チームに貢献

  • ひと百人物語, 特集
  • 2020年11月7日
チームメートから「長い間ありがとう」と寄せ書きされたボールを手にする山下さん
チームメートから「長い間ありがとう」と寄せ書きされたボールを手にする山下さん
引退試合後に胴上げされる山下さん=2020年10月、とましんスタジアム
引退試合後に胴上げされる山下さん=2020年10月、とましんスタジアム
苫小牧市内の運送会社の野球チームに所属していた山下さん(右)=1981年、旧苫小牧市営オーロラ球場
苫小牧市内の運送会社の野球チームに所属していた山下さん(右)=1981年、旧苫小牧市営オーロラ球場
長年プレーしたクラブチーム日本通運苫小牧のメンバーたち(後列左から2番目が山下さん)
長年プレーしたクラブチーム日本通運苫小牧のメンバーたち(後列左から2番目が山下さん)

  会社で働きながらクラブチームに所属し、朝野球などでプレーし続けた山下寿雄さん(71)は10月、チームメートが催した「引退式」に臨み、現役に終止符を打った。「これからは応援に回って野球を楽しみたい」と笑顔を見せた。

   空知管内上砂川町出身。野球を始めたのは小学2年の頃で、町内の少年団に所属した。野球人気の全盛期で「日が暮れるまで試合をしていた。グラウンドの四隅で4試合が同時に行われていた」と振り返る。

   中学2年の時に苫小牧に移住し、和光中学校に転入した。同校卒業後、大阪に渡り、府内の定時制高校に通学しながら鉄鋼加工の企業で勤務。余暇には職域チームや府内のクラブチームなどで内野手を務めた。大阪時代のアマ野球界は「C級のクラスでは200チームほどがひしめき合っていて、かなり活気があった」という。

   1980(昭和55)年ごろに苫小牧に戻り、千歳市や苫小牧市の運送会社に勤務。2001年に苫小牧市内の日本通運関連会社に入社し、クラブチームの日本通運トラッカーズ(現日本通運苫小牧)などでプレーした。

   セカンドやショートを守った山下さんは「守備には自信があった」と話す。高校時代にはバレーボール部にも所属していて「レシーブは前に出て捕球する感覚に似ていた」と解説する。10年ほど前からは、コーチ兼選手としてチームを支えた。「若手選手と一緒に練習をするのはいい刺激になった」。年を重ねても自らを高める努力を惜しまなかった。

   四球を積極的に選ぶのも少年野球時代からの特徴で、「出塁率は高かった」。近年は代打出場が多くなったが、「バントの切り札」として活躍。正確なバントがチームに流れを引き寄せた。「ワンプレーで試合の流れが変わるところ」が野球の魅力だという。

   引退を決意したのは今年8月。体力に限界を感じた。所属する日本通運苫小牧のメンバーらが企画した引退試合が10月上旬、とましんスタジアムで開かれた。JX苫小牧ケミカルと対戦し、4―3で勝利した。

   山下さんは3打席に立ち、送りバントと安打をそれぞれ1本ずつ決め、勝利に貢献。「バントは若い選手にも負けない」ことを証明してみせた。試合後の胴上げで宙を舞った山下さんは「素晴らしいチームメートに恵まれた」と感謝した。

   最後までプレーヤーであり続けた山下さん。「もう野球に未練はない」とコーチからも退く考えだ。今後は観客として古巣の試合を見守る。「選手として野球を楽しめたのは仲間のおかげ。これからは観客席からチームを応援していきたい」と、すがすがしい表情で語った。

  (石井翔太)

   山下 寿雄(やました・ひさお) 1949(昭和24)年6月、空知管内上砂川町生まれ。苫小牧和光中学校、大阪府立市岡高校卒業。千歳市や苫小牧市内の運送会社に勤める傍ら、苫小牧の軟式野球クラブチームでプレー。小学2年から続けてきた野球は今年10月に引退した。苫小牧市日新町在住。

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