北海道日本料理研究会苫小牧調理師睦会会長 藤田 恵二さん(65) 真心込めて腕振るう  「一期一会」大切に 100年超の歴史 老舗料理店4代目

  • ひと百人物語, 特集
  • 2020年10月10日
「遊び心を持って調理をすると才能が伸びる」と話す藤田さん
「遊び心を持って調理をすると才能が伸びる」と話す藤田さん
苫小牧で開催された睦会の全道大会。包丁式でマスをさばく藤田さん(左)=2002年ごろ
苫小牧で開催された睦会の全道大会。包丁式でマスをさばく藤田さん(左)=2002年ごろ
浜町で創業したよど川。100年を超える歴史を誇る=1908年ごろ
浜町で創業したよど川。100年を超える歴史を誇る=1908年ごろ
一区町内会の子どもみこしで獅子舞の獅子を持つ藤田さん(左)=1968年
一区町内会の子どもみこしで獅子舞の獅子を持つ藤田さん(左)=1968年

  老舗料理店の4代目として、少年時代からの夢である料理人となり、日々腕を振るう。業界団体の役員を歴任して長年の功績が認められ、国や道、業界団体から数々の表彰を受ける。後進の育成に当たっては、調理の基礎を磨きながらも遊び心を持ち、才能や個性を引き出すことをモットーとしている。

   1955年、苫小牧で生まれた。両親は苫小牧駅南口周辺に自然発生した朝市の一角で料理店を経営していた。八百屋や魚屋、時計店など約100店が軒を連ね、列車で白老や追分(現安平町)、岩見沢などからも行商人や買い物客が大勢訪れ、にぎわっていた。

   家族が代々経営する「よど川」は08(明治41)年、浜町で食堂として創業したのが始まり。こいのぼり大火後の23(大正12)年に同駅前に移転し、そば店を開くなど100年を超える歴史を持つ。72年11月に現在の場所に店を構えた。

   長男として小学校5、6年の時から家の手伝いや弟妹の朝ご飯を作った。中学時代には包丁を持って料理人になることをイメージし、卒業文集に将来の夢は「料理人」と書いた。苫小牧西高に進学後、休日は親戚が経営する勇払のすし店を手伝い、夏休みは住み込みで修行に没頭した。

   高校卒業後、市内のホテルや食堂で和食の料理人として技術を高め、80年に25歳で父の跡を継ぎ、よど川の店主となった。心掛けたのは専門店として強みを持つこと。地元の魚介にこだわり、全国の酒蔵を巡って日本酒をそろえた。本州からの出張者や単身赴任者に喜ばれ、常連客やファンを増やしていった。

   北海道日本料理研究会理事長や北海道全調理師会苫小牧支部長などを歴任。業界の社会貢献活動を推進し、市内の高齢者施設を訪問して料理を振る舞い、入居者や職員から喜ばれた。「業界団体に入ることでいろいろな人と交流できた。家族の支えが大きかった」と感謝する。

   料理の道を歩んで半世紀がたち、業界の状況も変わった。近年の不漁で、サンマやイカなど庶民の味として親しまれる魚介類が値上がりした。ホテルやレストランでは職人よりシステムに適応する人材が採用されるようになった。修行も厳しさだけではなく、若者の考えを理解する必要もある。「僕らの時代は厳しかったが、昔の縦社会では下の人は続かない。他の店の若い人は君付けで呼ぶなど心掛けている」と語る。

   好きな言葉は「一期一会」。真心を込めた料理の提供を続けていく。「今も料理人はいい仕事だと思っている。自分の客は自分で作ることが大事」と笑顔を見せながら、「店や業界団体を次の世代につなげる役目も残っている」と気を引き締めた。

  (室谷実)

   藤田 恵二(ふじた・けいじ) 1955(昭和30)年5月、苫小牧市生まれ。苫小牧西高卒業後、市内のホテルや食堂を経て、80年によど川の店主となる。苫小牧包丁塚料理人会会長や苫小牧地区調理技能士会会長なども務める。苫小牧市表町在住。

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