むかわ町内では毎年8月23、24日に、宮戸地区の鵡川大漁地蔵尊堂でお祭りが催されます。「イモッペ地蔵まつり」の愛称で親しまれる鵡川地方では古いお祭りの一つです。北海道には内地にあまり見られないアイヌ語起源の地名がたくさんありますが、「イモッペ」は特に珍しい地名でしょう。芋のことではありません。諸説あり、昔、魚を釣る餌のミミズを掘った所―と更科源蔵さんの本に紹介されていました。今回はイモッペさんについて話を進めます。
鵡川大漁地蔵尊は、一本の木を荒々しく削って造られた高さ130センチの地蔵尊の木像です。地元では「イモッペ」「イモッペさん」と愛着を込めて呼ばれています。
古老の語り伝えによると、1825(文政8)年5月、チンのシゲアンクルさんがイルシカベツの浜辺に打ち揚げられた木像を発見して、勇払浜にお祭りした出来事がイモッペさんの起源であると言われています。当時、苫小牧と白老境の別々川から鵡川と日高境のフイハップにかけての海岸線と、内陸は千歳川のイザリプト辺りまでシコツ場所と称する広大な商場が設定されていました。シコツ場所は、16カ所に分かれた地域の商場の集合体で、鵡川では浜の「下ムカワ」と、穂別の「上ムカワ」に分かれていました。1799(寛政11)年に、幕府が蝦夷地(北海道)を直接管理するようになると、和人が現地に築いた運上屋を会所に改めたため、シコツ場所では勇払に会所が置かれ、ユウフツ場所となりました。1812(文化9)年に、場所請負制度を再開した時のユウフツ場所の請負人は福山の阿部屋仁兵衛でしたが、1821(文政4)年ごろから、山田屋文右衛門(8代目)に変わります。
シゲアンクルさんが木像を発見した頃、勇払浜ではたくさんのアイヌ民族を集めて、大規模な営業活動を行っていました。漁場での厳しい労働環境を背景として、海にまつわる神様を大切にしたいと願い、木像を鵡川から勇払まで背負って運び、大切にお祭りしたのでしょう。
明治に入り、開拓使の方針でユウフツ場所が廃止されると、経営者不在になったユウフツから本像がイモッペ(井目戸)へ移動することになりました。1890(明治23)年、イモッペに住むトミルカさんの宅地に木像を移します。その後、1900(同33)年にウィンカトンさんの宅地に移した時、夢枕に木像が現れて、お堂を建ててほしいと懇願されたことを契機として、1902(同35)年には地域住民の尽力により現在のお堂とは異なる場所に最初のお堂が建てられました。
すると、以前から流行病に困っていた住民は元気になり、霊験あらたかなお地蔵様として評判が広まりました。医師不足で、満足な治療も受けられなかった当時の社会がイモッペさんを求め、宮戸の町に人々が集まり、大きく発展するきっかけとなりました。
イモッペさんは大漁、戦争中の弾よけ、子授け、縁結び、受験合格など、人々のくらしを助ける御利益のある、大変ありがたい地蔵として、地域住民のみならず、心の救いを求める多くの人々の信仰を集め、現在の鵡川大漁地蔵尊へ発展していきました。
むかわ町は、地元に伝わる縁起や古記録、100年以上経てなお民衆の心のよりどころとして各地から大勢の参拝者を集め、町の発展の一翼を担ってきたイモッペさんの社会的な背景を高く評価し、1994年3月28日付で町文化財保護条例に基づく第1号町文化財に指定しています。
アイヌ民族が神像としてお祭りしたお地蔵様イモッペさん。今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響でイベント等はできませんでしたが、今後ご縁がありましたら、ぜひお祭りに来てイモッペさんの歴史を感じてみてください。
(むかわ町教育委員会、田代雄介学芸員)
※第1、第3木曜日掲載