苫小牧市介護者を支える会会長 菅原 裕子さん(78) 悩みや苦労和らぐように 心に寄り添い親身に支える  人と地域思い福祉活動に力

  • ひと百人物語, 特集
  • 2020年8月22日
介護者の悩みに寄り添う菅原さん
介護者の悩みに寄り添う菅原さん
世界アルツハイマー月間に合わせた街頭啓発=2012年(右から2人目が菅原さん)
世界アルツハイマー月間に合わせた街頭啓発=2012年(右から2人目が菅原さん)
市立自動車学校で働く菅原さん(左端)=1961年ごろ
市立自動車学校で働く菅原さん(左端)=1961年ごろ
夫婦で支え合う夫の雅夫さんと菅原さん=2013年
夫婦で支え合う夫の雅夫さんと菅原さん=2013年

  さまざまな団体で献身的な活動に取り組んできた菅原裕子さん(78)。認知症患者やその家族などを支援する「苫小牧市介護者を支える会」では2008年から会長を務める。「介護に対する悩みや苦労を抱える人の心が、少しでも和らぐように」と親身になって話を聞き、アドバイスもしてきた。「相談者が『話してよかった』と言ってくれて、ここまで続けることができた」と振り返る。

   町内会の婦人部長に誘われ、1983年12月から27年間、民生委員を務めた。2004年には市の自治貢献者にも選出された。委員時代は「地域になくてはならない役割」と意気込み、問題解決に奔走した。夜1人になると寂しさから「死にたい」と電話を掛けてくる相手に寄り添い、何時間でも耳を傾けた。買い物に出掛けたまま帰らない高齢者を探し回ることもあった。

   介護者を支える会への入会も民生委員がきっかけだった。担当地区の民生委員児童委員長の甲賀雄二郎氏が同会の会長で、入会を勧められ、「この先介護をする機会もあるだろうから」と1991年に入会した。

   高齢者の見守り、在宅介護、認知症予防に向けた勉強会と活動は幅広い。介護中の人、介護を終えた人、これから介護を控えている人―が情報を共有し、お互いに支え合い、悩みを一人で抱え込まないよう励まし合う。毎年9月には、世界アルツハイマー月間に合わせた街頭啓発を苫小牧駅前周辺で行っている。

   幼少期の44年6月、海軍に所属していた父親がマリアナ沖海戦で戦死。母親が着物の直しや仕立て、和裁教室などで生計を立て、直した着物を依頼主に届ける手伝いをした。生活は苦しく、苫小牧西高校に進学した際には、2年後の修学旅行資金をためるため、住んでいた表町から同校まで毎日歩いて通った。

   卒業後は、苫小牧市立自動車学校に事務員として8年間働き、職場で出会った雅夫さん(87)と69年に結婚。「生徒に頼まれて教習車に同乗したこともあった」と語る菅原さんからは、頼りにされる人柄がにじみ出る。

   新型コロナウイルスの影響で活動自粛が続き、全道の認知症患者や家族が一堂に会する「北海道認知症の人を支える家族の会」の定期総会も、苫小牧開催の予定が中止となった。菅原さんは相次ぐ行事の中止を心配しながらも「できる限りのサポートをしていきたい」と話す。

   市明るい選挙推進協議会の会長も務める。今年1月には総務省の選挙制度130周年を記念した選挙関係功労者表彰で、総務大臣感謝状を受けた。市遺族会でも副会長として活動に取り組んでいる。

   コロナ禍でも夫婦で支え合い、福祉活動に積極的に参加する菅原さん。「相手の立場になって考え、自分ができることを積み重ねていきたい」。人と地域に尽くす姿勢は変わらない。

  (松原俊介)

   菅原 裕子(すがわら・ひろこ)1941(昭和16)年11月、苫小牧生まれ。3人きょうだいの末っ子で次女。苫小牧西高校を卒業後、苫小牧市立自動車学校に勤務。83年12月から2010年11月まで民生委員を務め、現在は「市介護者を支える会」「市明るい選挙推進協議会」の会長。苫小牧市緑町在住。

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