視点

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  • 2020年8月12日

  出来事は、見る角度でまったく別の事象に見える。七十数年前の戦争中や日本が戦争に負けた直後の混乱もそうだ。一方の見方だけで善悪はいえない。

   国は、働き手が出征し、戦死した農家に、学生たちが泊まり込んで農作業を手伝う仕組みをつくって働き手の不足を補い、食糧を増産しようとした。若者が親元を離れ、学びやから引き離されて食糧増産に励む。青年たちの辛苦の証言や記録が多く残されている。

   受け入れ側の農家には別の苦労があった。食べ盛りの若者にご飯を用意しなければならない。少年たちに農作業の技術はなく、田んぼに魚がいたといっては苗を踏み付けて追いかけ、遊んだそうだ。「迷惑だ」という農家の声を聞いて受け入れを断った官選首長が解任されたとの話も残っている。

   農家は米をたくさん持っているのに、都市の住民が着物などとの交換を求めても冷たくあしらった―という証言も多い。農家側の苦労の説明はあまり聞かない。米の供出が求められて、飯米の確保もままならなかったのに。復員した主人や息子を訪ねて戦友たちが頻繁に訪れた。つらかった軍隊生活を振り返り互いの無事を確かめ合う―はずだが、訪問の目的が食料であることは、じきに分かる。

   苫小牧近郊の農業者が、親たちから聞き、幼い目で目撃した戦中と戦後の出来事の一側面。これまで聞き、読んで頭の中に描いていた景色とはずいぶん違う。(水)

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