記憶

  • ニュース, 夕刊時評
  • 2020年8月11日

  戦争の記憶が遠ざかるとき、/戦争がまた/私たちに近づく。/そうでなければ良い。

   八月十五日。/眠っているのは私たち。/苦しみにさめているのは/あなたたち。/行かないで下さい 皆さん、どうかここに居て下さい。

   石垣りん「弔詞―職場新聞に掲載された一〇五名の戦没者名簿に寄せて」の後段の二つの連。

   コラム子は戦争を知らない。ただ幼い頃、祭りの露店の途切れた路地で、ハーモニカを吹いたりアコーディオンを弾いたりしていた、腕や足や目を失った傷痍(しょうい)軍人の姿は50年以上たっても思い出す。旧日本軍の兵隊帽をかぶった白い衣装の男たち。祭りの空気とのコントラストが深く印象に残っている。後になって、繁栄にばかり目を向けていた私たちと時代が、ある意味で置き去りにしてきたことの一つと感じた。

   政治家が決めた戦争と、その結果の全てを国民は人生で引き受けた。戦火で体の一部を失った人、空襲などで障害を負った人、家族を失った人の辛酸、補償、生活の援護に国は十分に寄り添っただろうか。「黒い雨」を浴びた人々による集団訴訟は、被爆75年の今年7月、援護対象区域の見直しを政府に求める地裁判決が出た。

   「弔詞」が、詩集「表札など」で発表されたのは1968年。年月を経て、首相らが「敵基地攻撃能力」の保有に意欲を示すこの夏、詩人の言葉が刺さる。(司)

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