小学校の高学年のころ家の解体現場で不思議な物を見た。居なくなった飼いネコのミイラだ。板張り壁の建物を地ぐいに乗せた隙間だらけの家だった。
ネコは干からびて、うっすらと毛の色が残るだけだった。灰色と白のまだら模様のネコの名前は、確かタロ。ネズミ取りが上手ではなく、歴代の飼いネコの中では、評価は高くなかった。「ネコは家につくもの」。その時に、ネコの習性の解説を大人に聞いたのかもしれない。自分の死を人間には見せない。死を悟ると隠れる。そんな話も。あのネコは、家のどこかで、家に守られ、家を守って、死後も長く過ごしていたのか―。
人は、人につくのか家につくのか。盆や正月になると考える。なぜ、あんなにも帰りたかったのだろう。山や川、そこに建つ家を見たかったのか。そこに住む人たちに会いたかったのか。今年は新型コロナウイルス対策があり、盆の帰省風景が例年とは違うようだ。古里に感染を広げないよう「帰省を控えて」と呼び掛ける知事が多い。通じたのか、古里へ向かう特急や新幹線、飛行機が、夏休みが始まってもすいているという。
政府は「一律に自粛を求めるものではない」と、どうとでも取れる発言を繰り返している。帰省にせよ、緊急事態の再宣言にせよ、国会の召集にせよ、責任を問われる判断を避けることが最大の行動指針かと思うと情けない。政府は隠れたのか、死んだのか。(水)