「ロボット」という言葉が誕生した20世紀初頭は、科学技術の発展によって社会や価値観が大幅に刷新される時代の転換期であった。機械の美を称賛した未来派をはじめ、人工の身体をモチーフに、その解体と再構成によるフェティッシュな表現を展開したシュルレアリスムなど、前衛芸術の旗手たちによって、機械と身体を組み合わせた表現が多数、生み出されてゆく。
シュルレアリスムの傍系としても位置付けられる中村宏(1932―)は、60年代に自らの内面に潜在する欲望の対象であるセーラー服、汽車、飛行機といったモチーフを組み合わせた絵画を制作。それらを「呪物」として据え置き、機械と身体のイメージに介在する人間の欲望の一端が読み取れる作風を展開した。
一方、婦人用のロングブーツの群れが、歩行ロボットの脚に装着される順番を待つという奇抜なイメージを具現化した西尾康之(1967―)の作品からは、自らのフェティシズムの対象を普遍的な美へと高めようとする精神が垣間見られる。
身体や物質、機械への偏愛を源泉とする両作品だが、ともに生命のない物質に命を吹き込もうとする根源的欲求が直截的に投影されており、果たしてその探求は、純然たる美意識とそれに基づく創造性によってしか成しえない領域にまで到達している。
(苫小牧市美術博物館 学芸員 細矢久人)