苫小牧キレンカ監督 曽根 幹さん(70) 全日本頂点狙う 還暦超え選手所属のアイスホッケーチーム  監督業に専念「勝利に貢献したい」

  • ひと百人物語, 特集
  • 2020年7月18日
今年から監督に専念する曽根幹さん
今年から監督に専念する曽根幹さん
全日本オールドタイマー大会に苫小牧選抜の選手として出場した曽根さん=2008年、宮城県
全日本オールドタイマー大会に苫小牧選抜の選手として出場した曽根さん=2008年、宮城県
北海道日大高校のアイスホッケー部に所属した(後列右から4人目)=1968年ごろ
北海道日大高校のアイスホッケー部に所属した(後列右から4人目)=1968年ごろ
全日本オールドタイマー大会の北海道予選に出場したメンバーたちと(後列左から3人目)=2015年2月、帯広市
全日本オールドタイマー大会の北海道予選に出場したメンバーたちと(後列左から3人目)=2015年2月、帯広市

  60歳以上の選手が所属するアイスホッケーチームの苫小牧キレンカで監督を務める曽根幹さん(70)。日本リーグ出場経験のある名選手も抱え、全国大会出場を重ねるチームで指揮する。監督就任4年目を迎え、「選手ではなく監督に専念してチームの勝利に貢献したい」と意欲的に語った。

   苫小牧市出身。弥生中学校(当時)卒業後、北海道日本大学高(現北海道栄高)に進学し、アイスホッケーを始めた。ポジションはFWとDFの両方をこなした。中学時代にはクラス対抗のアイスホッケー競技会があったため、親しみがあるスポーツだったものの、「練習はきつかった」。

   夏場の「陸上トレーニング」の厳しさを強調し、「学校の近くにあるポロト湖を1周した後、校舎に続く急坂を上るのはしんどかった」と苦笑いを浮かべた。

   同高2期生として入学したため、部員は10人程度。練習も朝練が多く、苫小牧市内のリンクで練習後、汽車に乗って登校していたが、「たまに乗り遅れてしまうこともあった」と振り返った。

   高校卒業後は山梨学院大に進学。アイスホッケー部がなかったため、競技からは一度離れたが、社会人となって苫小牧への帰郷を機に復帰した。

   2018年まで市内の司法書士事務所で事務員として勤務する傍ら、社会人のアイスホッケーチームに籍を置き、競技を楽しんだ。「きついと感じることはなく、楽しみながら練習できていた。社会人チームの数も現在より多く、盛り上がりもあった」と懐かしむ。

   50歳以上の選手が出場する全日本オールドタイマー大会に、60歳以上の「O(オーバー)―60」カテゴリーができたのは13年。曽根さんは苫小牧選抜の一員として出場した全日本O―60の第1、2回大会で優勝を経験した。第5回大会(香川県)があった17年に、O―60のチームとして苫小牧キレンカが発足し、曽根さんが監督に就いた。

   マネジャー不在のチームで、監督の業務はリンク外にも及び、遠征の調整や練習場所の確保などを一手に担う。「日本リーグで活躍した選手も在籍していて、意見集約が大変なこともある」と監督業の難しさを口にする。一方で、「全国大会にも出場できているので、やりがいも感じている」と手応えを語った。

   苫小牧キレンカは昨年の全日本大会で決勝に進出。今年の北海道予選でも3位に入り、全日本の切符は獲得したが、本大会が新型コロナウイルスの影響で中止になった。曽根さんは「チーム全体の士気が高まっていただけに中止になったのは残念」と複雑な心境を明かす。

   悔しさは来年以降の全日本にぶつける。今年から選手を退き、監督に専念する曽根さんは「全国的にもO―60のレベルは高くなっていて、かなり拮抗(きっこう)していると思う。なんとかモチベーションを維持して、来年こそは優勝を狙いたい」と抱負を語った。

  (石井翔太)

   曽根 幹(そね・みき) 1949(昭和24)年8月、苫小牧市生まれ。北海道日大高(現北海道栄高)、山梨学院大卒業。高校在学時にアイスホッケー部に所属していたほか、メープルリーフスなど社会人チームでもプレーした。2017年から、60歳以上の選手が在籍する苫小牧キレンカ監督。苫小牧市有珠の沢町在住。

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