社会福祉法人ホープ常務理事 佐藤春光さん(69) 教員を辞め障害者支援に力 地域で働ける場 「フロンティア」開設

  • ひと百人物語, 特集
  • 2020年7月11日
フロンティアの前で「誰もが暮らしやすい社会を実現させたい」と語る佐藤さん
フロンティアの前で「誰もが暮らしやすい社会を実現させたい」と語る佐藤さん
白老町立森野小中学校の運動会で保護者として参加し、綱引きをする佐藤さん(右から3人目)=1991年ごろ
白老町立森野小中学校の運動会で保護者として参加し、綱引きをする佐藤さん(右から3人目)=1991年ごろ
道外教育視察先で白老町内の小中学校教員と写真に納まる佐藤さん(後列左端)=1982年ごろ
道外教育視察先で白老町内の小中学校教員と写真に納まる佐藤さん(後列左端)=1982年ごろ
旧虻田町(現洞爺湖町)の小学校で行われた胆振教育研究会に参加した佐藤さん(中央)=1985年ごろ
旧虻田町(現洞爺湖町)の小学校で行われた胆振教育研究会に参加した佐藤さん(中央)=1985年ごろ

  白老町萩野で社会福祉法人ホープが運営するフロンティア。障害のある人たちに働く場を提供し、生活自立と社会参加を支援する通所施設だ。イタドリの野草茶作り、広告チラシの印刷、アイヌ文様刺しゅうを施したコースターの製作―。40人余りが利用する施設の仕事は多岐に及ぶ。

   「今度はこれを作って売ろうと思っているんです」と、事務所の奥から取り出してきたのは、山で採れたタケノコの瓶詰。「経済的自立を促すため、仕事の幅を広げて施設利用者への工賃をもっと上げたい」と力を込める。小・中学校教員を辞め、障害者施設に身を投じて15年が過ぎた。

   大学卒業後の1976年、閉校で今はもう無い白老町立森野小中学校で教員生活をスタートさせた。その後、壮瞥町の学校を経て北海道教職員組合胆振支部の専従書記長に。4年後の90年、白老中教員として現場へ戻った。

   担当したのは、白老小に設けられていた「ことばの教室」。幼児から中学生まで言語に障害のある子どもを受け入れた教室で、特別支援教育の免状を持つ中学教員も指導に当たった。言葉の発達の遅れや自閉症など、さまざまな障害の子どもと向き合った。体当たりの指導の中で「親たちの日常の苦労や将来への不安を肌身で感じた」。それが後に障害児・者やその親と共に歩む活動の原点となった。

   子どもたちと接するうちに、障害児教育の不備に気付いた。手をつなぐ親の会(現・手をつなぐ育成会)と共に改善の運動に取り組み、議会や行政に働き掛けて町内の全小中学校に特別支援教室の開設を実現させた。親の会が介助員を雇って悲願のスクールバス運行もかなえ、先進事例として各地から注目を集めた。

   親たちや障害の子を思う活動はさらに深みを増した。「子どもたちが中学や高等養護学校などを終えた後の受け皿をつくりたい」。親の会と一緒に97年、町内に無認可の授産施設を設け、通所者5人で割り箸の袋詰め作業などを始めた。体制強化を目指し2004年に社会福祉法人を立ち上げ、翌年春、萩野に知的や精神、身体の障害者を受け入れる定員25人のフロンティアを開設した。同時に教職を辞して施設職員になった。給料は激減するものの、妻がそっと背中を押してくれた。54歳の時だった。

   小さな施設は大きく成長した。今では駅前レストランや公共施設の売店経営、グループホーム運営と広がりを見せ、約60人の利用者が地域で生き生きと働き、暮らす。仕事の場のさらなる確保へ、12日開業の民族共生象徴空間(ウポポイ)には直営の飲食店をオープンさせ、来年春には登別市にも施設を開設する。

   「地域で息を潜めて暮らす障がい者をなくすために!」。ホープが掲げるスローガンだ。「障害者の生活の質を高め、誰もが暮らしやすい世の中をつくる。それが私たちの目標なのです」。真っすぐに社会の先を見詰めて熱く語る姿は今も昔も変わらない。

  (下川原毅)

   佐藤 春光(さとう・はるみつ) 1951(昭和26)年2月、壮瞥町生まれ。北海道教育大学旭川分校卒。文化活動を趣味とし、教員時代に合唱サークルで活動。現在も白老町内での映画上映や落語公演などに携わる。全道組織・北海道手をつなぐ育成会の会長も務めている。白老町竹浦在住。

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