名将と聖地

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  • 2020年7月3日

  遠い昔、苫小牧東高に通っていた。まだ街の中心部の若草町に校舎があった時代だ。高丘の山の方に移転した新校舎は、3年の3学期だけ通ったので愛着はない。市民から「ガタ校」と呼ばれ、歴史的建造物のように文字通りガタガタだった旧校舎を知る最後の世代で、思い入れも強い。

   高2から高3にかけてクラス担任だった恩師の訃報を聞いて、あの頃を思い出した。校則でがんじがらめの中学生活とは真逆な、自由な校風。3年の時には制服自由化もスタートした。恩師も細かい事にこだわらず、伸び伸びと育ててもらったような気がする。

   高校卒業後、恩師との再会は、まさかの聖地・甲子園。1998年春のことだ。快進撃を続けて30年ぶりにセンバツ切符を勝ち取った母校に同行取材し、もう現場は離れていたが、恩師も総監督のような立場でチームに合流。雨で試合が流れることも続き、選手たちと同じ大阪のホテルで13泊14日の長い滞在となった。深夜のミーティングで恩師から選手たちに喝が入ったり、思い出は尽きない。初戦で浦和学院に敗れたものの、才能豊かなチームだったと思う。

   最近は年賀状のやりとりだけだったが、「頑張ってるね」「また一緒に甲子園へ行きたいね」と達筆の文字で書かれていた。辻幸雄さん。強豪私学と渡り合い、公立の母校を春夏合わせ通算4度甲子園に導いた名将。野球一筋の道、88年の人生を駆け抜けた。(広)

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