(16)リンクづくり グラウンドに氷都光景 天候を予測、試行錯誤し水まき

  • 特集, 私と苫小牧 アイスホッケー
  • 2020年7月1日
真冬に仕上げた学校のリンクで練習するチーム=2020年1月、苫小牧東高

  小学生のころ、苫小牧東高のグラウンドで毎冬、スケートリンクづくりに精を出す父の正をまねて、兄の正志と家の庭にリンクをよくつくった。「水道代がもったいない」と母の元子に叱られながら台所の蛇口につないだホースを延ばして水まきをした。ひと滑りしてから登校するのが日課だった。

   苫東高在学時に記憶した父がリンクづくりをする姿を基に、教員1年目から学校リンクづくりに取り掛かった。初任地の苫小牧南は1981年に木製の白いフェンスで囲われてアスファルト舗装された立派なリンクがあった。風通しが良好で、日中は4階建て校舎の影に入る。条件はそろっていたが、氷がなかなかうまく張らない。

   翌年も苫南のリンクづくりは難航。一方で父の苫東は、すでに学校リンクが出来上がった。「この天候で、まだリンクができないのは恥ずかしいぞ」。不意に父から指摘されてどきっとした。それから冬を迎えるたび、学校リンクづくりに本腰を入れるようになった。

   1994年に赴任した苫西のリンクは過酷な環境にあった。日陰は一切なく、風の通りも良くない。木製フェンスに風穴を開けるなど試行錯誤を重ねた。問題解決を見ないまま5年が過ぎ、ふと早稲田大学生当時の記憶がよみがえった。日本学生選手権や合宿でたびたび訪れたかつての古河電工アイスリンク(栃木県日光市)。冷却液を循環させ、人工の氷をつくる屋外パイピング施設で、日中に太陽が照り付けるとリンクの上にカーテンを張り巡らし、日陰を生み出していた。

   苫西リンクの中央にワイヤーを1本通し、そこへ通気性の高い塩害防止用シートをカーテンに代用してみた。日光の影響を受けにくくなり、氷質はぐんと向上。天候も王子製紙の煙突から出る煙の向きや流れの速さで予測できるようにもなった。

   続いて赴任した苫東では特殊な壁にぶつかった。リンクの床に敷かれていたのは、夏季に車輪が付いたインラインスケートを使うためのスポーツコートと呼ばれる格子の構造になった連結タイル。不用意に散水するとタイルが水の表面に浮き上がってしまう。タイルを床に貼り付けるように凍らせてから、本格的な水まきをした。細心の注意が必要だった。

   気温によって水まきの工程も変わる。氷点下5度より高いとリンク全体の結氷に1時間以上かかるため、いったん待機。マイナス8度以下なら、氷の様子をみながら連続して散水できる。体にこたえるが、生徒たちのことを思えば苦にはならなかった。

   分単位で気象情報が分かるインターネットなど文明の利器も駆使して3日で完成させた年もあった。苫小牧市内の小中高校のグラウンドに当たり前のようにあった学校リンクも、今では数えるほどにまで減った。氷都の光景が途絶えないことを祈りたい。

  (構成・北畠授)

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