江戸幕末期に北方警備に当たった仙台藩士、武藤今朝五郎らに関する資料「武藤家文書」が白老町の仙台藩白老元陣屋資料館に寄託され、年度末にも翻刻(現代語訳)が完了する見通しとなった。作業が終わり次第、内容の精査に入る学芸員の平野敦史さん(42)は「これまで藩士が見た白老や、個人の動きはよく分かっていなかった。当時の様子が分かる記述が見つかれば」と期待している。
「武藤家文書」は日記や家系図、備忘録、目録など合わせて475点から成る資料。宮城県に住む所有者が、武藤家が明治以降に居住した同県大崎市に寄託を申し出たが、江戸時代の居住地が現気仙沼市だったことから受け取れず、大崎市の橋渡しで昨年夏、同館が預かった。
文書の中には「松前東蝦夷地詰日記」や「蝦夷地ヱトロフ警備方御用留」など当時の北方警備のありようが分かりそうな資料も多く、筆書きの古文書を現代の活字に置き換える「翻刻」を専門家に依頼していた。大崎市からは別の藩士「佐藤家文書」の一部データの提供も受けており、合わせて分析を進める。
白老元陣屋は、東蝦夷地(白老から根室半島にかけての太平洋側と千島)の警備拠点。1856(安政3)年から68(慶応4)年までの12年間、仙台藩士が入れ替わりで防衛に携わった。御備頭(管理責任者)だった三好監物が残した資料などから史実の大枠は分かっているものの、当時の藩士がどのように暮らしていたかなど詳細は知られていない。平野さんは「白老生活の実像に迫れそうな記録を見つけられたら」と意気込む。