◇1 樽前山〈上〉 白銀の火口原に白い噴煙 風土をつくった火山 度重なる噴火 9000年前から

  • 特集, 郷土の自然誌
  • 2025年1月13日
噴火後、溶岩ドームを観測する人々
噴火後、溶岩ドームを観測する人々
1909年の噴火の様子。樽前山山頂にはまだ溶岩ドームは見えない砕。左側に大きく立ち上るのは火流によるものらしい
1909年の噴火の様子。樽前山山頂にはまだ溶岩ドームは見えない砕。左側に大きく立ち上るのは火流によるものらしい
樽前山北側の932峰(標高932)に続く稜線。樽前山と風不死岳(写真右)の中間で、しわのように盛り上がっている
樽前山北側の932峰(標高932)に続く稜線。樽前山と風不死岳(写真右)の中間で、しわのように盛り上がっている
東ピークから火口原と溶岩円頂丘を眺める。左の噴煙がA火口。ドームの西側と上部の噴気孔からも白い噴煙が立ち上る。ドームの右側の裾からもわずかに噴煙をはいているのが分かる。気温の低い冬は、水蒸気を含んだ噴煙が白さを増す
東ピークから火口原と溶岩円頂丘を眺める。左の噴煙がA火口。ドームの西側と上部の噴気孔からも白い噴煙が立ち上る。ドームの右側の裾からもわずかに噴煙をはいているのが分かる。気温の低い冬は、水蒸気を含んだ噴煙が白さを増す
樽前山外輪の東ピーク(標高1022メートル)
樽前山外輪の東ピーク(標高1022メートル)
A火口 溶岩ドーム南東の付け根にあり絶えず噴煙をはき、周辺には濃い硫黄がこびり着いている
A火口 溶岩ドーム南東の付け根にあり絶えず噴煙をはき、周辺には濃い硫黄がこびり着いている

  私たちの住む苫小牧やその近郊には、海浜から高山まで多彩で豊かな自然が広がっている。草原も森林も火山も、また川も湿原も湖沼もあり、その多様な環境の中に多くの動植物が息づいている。郷土を拓(ひら)いた先人たちは、その自然に助けられ、時には脅かされながら、歴史を紡いできた。今シリーズでは郷土を形づくる山河を巡り、その魅力に触れる。初回は、私たちの郷土の大地を造った火山、樽前山を訪れる。

   真冬の樽前山(標高1041メートル)には青い空の下に白い雪と氷、それに茶色く頭半分を出した木々たちと岩の世界が広がっている。夏山の喧噪(けんそう)はない。

   七合目駐車場から林内の深雪をスノーシューで踏み分け、氷化した北東斜面を東ピークにつながる稜線(りょうせん)に向かって直登する。8合目辺りからはアイゼンを着け、ピッケルを片手にバランスを取る。一歩一歩踏みしめ、標高1000メートルほどの稜線にたどり着いた途端、眼前に白銀の火口原と溶岩ドーム(溶岩円頂丘)が現れた。ドームの気孔とその裾の火口が、白い噴煙を薄曇った青空に噴き上げている。アイヌの人々がこの山を、ウ(ヲ)フイヌプリ、燃える山と呼んだゆえんだ。

   振り返れば、眼下に7合目ヒュッテが小さく見え、気持ちを支えてくれる。北側にはどっしりと風不死岳(標高1103メートル)。その後ろに薄く天を映した支笏湖。その向こうに恵庭岳(標高1320メートル)がそびえているはずなのだが、風不死岳の陰に隠れて見えない。

     ◇

   この山は数万年前、支笏カルデラ(支笏湖)をつくった巨大な火山の活動が収まった後、今から9000年ほど前にそのカルデラ壁の南側で噴火活動を起こしてできたという。いわば支笏火山の子どものようなもので、北側に長子の風不死岳、湖を挟んで次子の恵庭岳が位置し、樽前山は末っ子に当たる。

   9000~5000年前の噴火の後、長い鎮静の時間を経て3000年ほど前と600年ほど前に噴火活動が繰り返されたことが地層の重なりから分かっており、その後江戸時代以降の噴火は、わずかながら文字の記録が残っている。

   寛文7(1667)年には、大噴火の振動が津軽(青森県)にまでおよび多数の死者が出た(津軽秘鑑)といい、元文4(1739)年には「降灰多く七月二十三日は暗黒」、文化元年から同14年には「七月十二日地震、同十四日より二十六日まで山鳴りタルマイ獄焼く。下蝦夷地タルマイ付近に、三日の内昼夜暗く焼灰降る」(松前年々記)など。

   これらの火山活動で噴出した火山灰、火山礫(れき)が私たちの郷土の大地を覆い、そこに生きる動植物や人々の暮らしの形態、風土を決定づけていった。

       ◇

   その後、幾度かの噴火があり、今、目の前にある火口原と溶岩ドームの風景は明治42(1909)年の火山活動でできた。火口原は1.2キロ×1.5キロのほぼ円形、溶岩円頂丘は直径450メートルの円形で、高さ134メートル。

   このドームができた時、空が曇っていてその様子を苫小牧からは見ることができなかったという。しかし、数日後に空が晴れると山頂に見たことのない小山ができていて人々を驚かせた。

   この火山活動の歴史は支笏湖ビジターセンターのジオラマで、また、地層の重なりなどは実物を苫小牧市美術博物館の展示物で見ることができる。

  (一耕社代表・新沼友啓)

   1909年の噴火 1月から活発な火山活動が始まった。1月11日夜に頂上で火柱が見えたのを皮切りに5月15日まで、鳴動や噴火、降灰が続いた。特に3月30日からは大きな噴火となり、4月には熔岩ドームが形成された。同月17日、夕方から、苫小牧の人たちは樽前山の方向から大きな鳴動を聞いた。曇りで山の様子は見えなかったが3日後、空が晴れると、山頂に新しい小山ができているのを見て驚いた。これまであった深さ65メートルの火口を埋めて、さらにその上に高さ134メートルの小山が現れたのだった。

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