フィリピンで仕事場を探そうとしていたおりのこと。
首都マニラの居酒屋で、私の知人から四十年配のフィリピーナを紹介される。サウジアラビアへの出稼ぎから帰国したばかりだという彼女は、マニラの郊外に手頃な新築の物件を所有しており、借り手を探していた。
数日後の夕方、その女性を訪ねて、賃貸物件だという角部屋を見せてもらう。私に見てもらうために、歓心を買うためだろうか、中古のデスクとベッドだけ運びこんである。もちろん壁紙も床もピカピカだ。
じっくりながめて、私はふむふむとうなずいていた。仕事場としては申し分ない。だが……。ちょっと待てよ。
私は薄暮に包まれた部屋の中で、小首をかしげていた。ちょっと何かが、どこかがヘンなのだ。それを確かめるべく改めて部屋のたたずまいを隅から隅までながめてみれば――。
なんとドアがないではないか! 入り口にあるべき玄関ドアが影も形もないのだ。
女主人が照れ笑いを浮かべ、小太りの体を小さくしていう。
「まずは店子(たなこ)を見つけて、もらった家賃をためてからドアをつけようかと思っているんだけど……」
部屋を貸そうというのになんでそうなるわけ? 私ならずとも思うだろう。
母子家庭で子だくさんの彼女は、出稼ぎ先のサウジアラビアから給料をこつこつと祖国に送り続けてきた。そしてアパートにもできる自宅を少しずつ建ててきたのだという。
だが、里心がついたものだから、予定よりも早めに出稼ぎを切り上げて帰国した。おかげで新居を完成させる前に建設資金がショートしてしまったのだとか。
フィリピンは、実に国民の1割がバリックバヤン(海外への出稼ぎ労働者)という、世界でも有数の出稼ぎ大国だ。その目的の最たるものは夢のマイホームを建てること。それこそがフィリピンドリームと呼ばれている。
だが、ここで紹介した女主人のように出稼ぎを途中でやめたりして、やむなく建設途中という家々が、フィリピンではどこに行ってもごまんとある。もっと計画的にやればよさそうなものだ。だが――。
「なんとかなる」「きっとそのうち家が建つだろう」「神様がなんとかしてくれるさ」
そう考えるのがフィリピン流なのだ。そういう発想、生き方、私は決して嫌いではない。
★メモ 厚真町生まれ。苫小牧工業高等専門学校、慶應義塾大学卒。小説、随筆などで活躍中。「樹海旅団」など著書多数。「ナンミン・ロード」は映画化、「トウキョウ・バグ」は大藪春彦賞の最終候補。浅野温子主演の舞台「悪戦」では原作を書き、苫高専時代の同期生で脚本家・演出家の水谷龍二とコラボした。