◇17 昭和31年 犬と子どもたち 子どもたちのそばにいつも犬の姿 戦中戦後の政策で悲惨な歴史も 風景今昔 犬にも猫にも仕事があった 子どもにとっては「弟」や「妹」

  • 昭和の街角風景, 特集
  • 2024年12月9日
畜犬展示会に集まった子どもたち(昭和38年)
畜犬展示会に集まった子どもたち(昭和38年)
北海道犬の展覧会(年代不詳)
北海道犬の展覧会(年代不詳)
犬のいる風景。この画面のどこかに子犬がいる(昭和27年ごろ)
犬のいる風景。この画面のどこかに子犬がいる(昭和27年ごろ)
チャンバラごっこで遊ぶ子どもたち。それを犬が笑って(?)見ている(昭和31年)
チャンバラごっこで遊ぶ子どもたち。それを犬が笑って(?)見ている(昭和31年)
苫小牧市内のドッグラン。犬たちが自由に遊べる場所は限られている
苫小牧市内のドッグラン。犬たちが自由に遊べる場所は限られている

  戦後も昭和30年を過ぎると世の中はどうにか落ち着き始め、多くの人々が人らしく、子どもたちが子どもらしく暮らせるようになってきた。だが、この中で、なお悲惨な目に遭っていたのは、人間の良き友であるはずの犬たちだった。各地で昭和20年代から毎年「野犬掃討」が実施され、同50年近くになってもそれは行われ、多くの犬たちが命を落とした。もちろん、幸せな犬もいた。犬たちを幸せにしたのは多くの場合、子どもたちだった。

   ■惨劇の歴史

   昭和における犬の惨劇は、戦争とともに始まった。太平洋戦争(昭和16~20年)の開戦前あたりから、犬は「無駄メシ」を食う存在として見られるようになった。

   資源不足、食糧不足の日本で、軍用犬を除けば、犬は無駄に飯を食うだけのものだというのだ。それに、狂犬病も心配だし、野良犬なら大事な家畜を襲うかもしれない。開戦とともに、一般に飼われていたシェパードやドーベルマンなどは軍用犬として買い上げられ、野犬は掃討された。番犬やペットはどうだったかといえば、戦争に走る大人たちはこれを「毛皮」と見なした。「犬の特別攻撃隊をつくり、毛皮になって敵に体当たりしよう」などと呼び掛け「犬の献納運動」というのが各地で行われた。犬を毛皮にして防寒着の材料にし、寒冷な戦地に送る。

   多くの人々が愛犬を泣く泣く差し出した。苫小牧でどうだったかという資料は見当たらないが、道内製乳工場が統合された戦時国策会社である北海道興農公社が道内で集めた毛皮は、昭和18年度には犬皮2627枚、同19年度には犬皮1万5000枚だけでなく猫皮4万5000枚を合わせて6万枚、同20年度には犬皮7330枚だったという記録がある。

   ■戦後の野犬掃討

   戦争が終わって食糧不足が解消され始めると、野良犬が増え出した。それに伴って、狂犬病の発生が増えた。昭和25年には戦後の流行がピークを迎え、議員立法として狂犬病予防法が制定された。飼い犬の登録および年2回の予防接種を義務付ける一方で野良犬の掃討に力を入れるものであった。未登録犬は野犬と見なされた。

   苫小牧の場合を見ると、苫小牧保健所が昭和27年4月から12月までに行った「野犬狩り」では746頭が捕獲され、うち飼い主が見つかって返還したのが340頭。残り406頭は撲殺された。(昭和28年1月11日付「苫小牧民報」)

   昭和30年には市内に2500頭の犬がいると推測されたが、そのうち畜犬登録されているのは918頭。残り1600頭は無登録で、捕獲の対象となった。捕獲は市が雇用した「捕獲人」の手で行われ、「捕獲人の話では毎日2、3頭の犬を捕まえるそうだが、最も無登録犬の多いのは西部、浜町方面」(昭和30年11月16日付「苫小牧民報」)

   予防注射などの取り組みで、昭和32年には全国での狂犬病発生をゼロにすることができたが、その時期においても苫小牧では千数百頭の野良犬がいると考えられ、羊やその他の家畜を襲って相当数の被害を与え、夜歩きの人にほえ付いたという例もあった。苫小牧市では昭和32年2月1日から全市的な野犬狩りを実施した。

   ■犬を救った子どもたち

   野犬狩りを恐れたのは、犬ばかりではない。子どもたちも捕獲人を「犬殺し」と呼んで恐れた。捕獲人にしてみれば、いい迷惑だ。とんだとばっちりだ。だが、子どもたちは、捕獲人が巡回してくると自分たちの情報網でそれを知らせ合い、飼い手の無い子犬や母子をかくまったりした。野犬掃討が盛んな頃、民家や校舎の縁の下で、子犬が鳴いているのがよく見掛けられた。母犬が捕まったのかどうしたものか。残された子犬たちを拾ってきたのが子どもたちだ。うまくいけば家で飼ってもらえたし、駄目なら隠れて飼うこともあった。親はといえば、多くの場合子どもの懇願と子犬の愛らしさに負けた。こうして、子どもたちのそばに犬がいる風景が多くなっていった。

   昭和40年代に入ってからもなお2000頭ほどの野良犬がいると推定され、同43年には毎月11日を「ワンワンデー」として飼育指導や野犬掃討の活動を行ったが、次第に「掃討」よりも「指導」に力が入れられ、新聞紙面に「野犬狩り」の活字が見られなくなったのはしばらく後のことだ。

   その後、ペットブームが訪れ、やがて犬や猫は愛玩動物(ペット)から伴侶動物(コンパニオン・アニマル)ヘと変わっていく。犬は多くの場合、屋内飼育へと変わり、「餌をやる」は「ご飯をあげる」に「オス、メス」は「男の子、女の子」に変わった。人気犬種が数十万円で売買される。売れ残った犬の扱いで、事件が起きることもある。飼い主の高齢化で取り残されるペットもいる。不幸な犬や猫を救おうと、多くのボランティアが活動している。

   そんな世の移ろいにつれて番犬にならない犬や、ネズミを捕らない猫も増えてきたともいうのだが、さてこの世相、犬や猫たちにとって天国か地獄か。

  (一耕社・新沼友啓)

  子どもたちが、犬と一緒にチャンバラごっこをしている写真。幼稚園か小学校低学年ぐらいの男の子たちが腰にひもを巻き付け刀に見立てた棒を差し、手にも棒を持って戦っている。そこに犬も参戦しているのか、はたまた止めに入っているのかは分からないが、何ともほほ笑ましい一枚。犬にはリードはないが、首輪が付いているからきっと飼い犬。子どもたちが一緒に遊ぶ仲間として連れてきたという感じだろう。今の時代、同じ光景を目にすることはあるだろうか。棒を振り回して遊ぶ子どもたち、つながれていない犬。どちらにしてもこれは一大事だ。

   写真の頃は、このような光景は日常であり、周りの大人たちもさほど気にしていなかったという。たまに「目は突くなよ」と言われるくらい。「寛大な心だな」と思ってしまうのは、今の時代の光景が当たり前になっているからなのかもしれない。

   当時の飼い犬には番犬やリヤカー引きなど役割があった。飼い猫にもネズミを捕るという役割があった。今のようなペットの飼い方とはまた違ったという。犬は基本的には外につながれていて、近所の人々は「あそこの犬はよくほえる」「あの犬は人懐っこい」など、それぞれの犬の性格を熟知していた。外につながれている犬を見なくなったのはいつからだろう…。

   今は犬をリード無しで走らせられる場所は決まっている。その中でもルールがあり、マナーを守らなければならない。昔のように、遊びに行くのに弟や妹を連れていくような感覚でペットを公園へ連れてはいけない。今は、いろいろな面でペットと人間の距離が変わってきたのかもしれない。何だかそれも寂しい。

  (一耕社・斉藤彩加)

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