2007年の苫小牧東高赴任と同時に、4人の1年生女子生徒がアイスホッケー部に仲間入りした。その中にダイヤモンドの原石のような選手がいた。大澤ちほ、鈴木世奈、米山知奈。14年ソチ(ロシア)、18年平昌(韓国)の両五輪女子アイスホッケーに出場した日本代表「スマイルジャパン」の主力だ。
大澤は王子製紙で活躍し日本代表経験もある広利さんを父に持つ。とても明るく活発で学校生活でも常に輪の中心にいるリーダーの心意気にあふれていた。在学時に1度、突然頭を丸刈りにしてきて驚かされたのも懐かしい。
鈴木は父の実さんが苫小牧東中在学時の1学年後輩で、高校、大学時代は相手チームの一員同士として何度も対抗し合った仲。米山は兄の翔介が当時苫東の2年生だったこともあり、それぞれよく知っていた。2人とも防具を着けていなければ、ごく普通の女子高生。氷上の格闘技と呼ばれるアイスホッケーをやっているとは思えないほど、穏やかで優しい性格だった。
ただ、男女計38人の大所帯の中で3人の競技に対する意識の高さは際立っていた。放課後は男子に交ざって陸上トレーニング。1周1キロ弱ある緑ケ丘公園金太郎の池を3分30秒設定で数周走り、100メートルのインターバル走などのメニューをこなすと、学校に戻って筋力トレにも励んだ。
男子ですら音を上げる3時間ほどの練習を終えると、彼女らは帰宅せずに緑ケ丘公園に向かう。当時所属していた女子トップのクラブチームのメンバーが集まる練習があったからだ。オーバーワークを心配して何度も引き留めようとしたが、笑顔で返ってくる答えは「大丈夫です」。彼女たちの心にはすでに、将来、日の丸を背負って戦う―という明確な目標設定があった。
こんな逸話もある。あまりの大人数で氷上練習が満足にできなかった07年、やむなく2年生以下の女子選手に参加を遠慮してほしいと打診した。すると大澤たちが「一緒に練習したい」と直筆の手紙を渡してきた。間もなく彼女らは在籍していたクラブチームの活動が多忙になり、部活の氷上練習には顔を出せなくなったが、その手紙は自戒を込めて今でも取ってある。
東高の校風「文武両道」のかがみでもあった。部活動と女子クラブチーム、二足のわらじを履き、シーズンになれば夜に氷上練習や大会がひっきりなしだったにもかかわらず、テストの成績は常に学年上位。いつ勉強しているのか不思議でならなかった。時間の使い方一つとっても、彼女たちは才能にあふれていた。
その後、苫東アイスホッケー部に在籍した高涼風や三浦芽依もスマイルジャパンの一員になった。学校と部活動で同じ時間を過ごしてきた子たちが世界の舞台で活躍する姿を見聞きするたび、どこか誇らしい気持ちになる。2年後の北京五輪(中国)出場も決まった。次はメダル獲得に期待したい。
(構成・北畠授)