「安心・安全であること、体に良いこと、おいしいこと、喜んでいただけること」にこだわり、農畜産物や海産物の加工品作りに取り組んでいる。若い頃からのさまざまな経験を得て1次産業と関わることを決め、農畜産施設の施工管理と有機肥料の生産・販売、農畜産品の販売を行い、道外の物産展にも積極的に出展している。
1940(昭和15)年5月、宮城県塩釜町(現塩釜市)で生まれた。太平洋戦争で、4歳の時に自宅を離れて同市内の山間部に疎開。配給で米が思うように手に入らなかった。空腹を満たすため、湯がいたカボチャの茎やサツマイモの葉を雑炊にして食べたが、苦かった。
終戦後は自宅に戻り、活発な少年時代を過ごした。高校では速記部に所属し、全国大会で2位になったこともあるという。高校卒業後の進路について迷ったが、「いろいろな仕事を経験したい」と考え、大手電機メーカーに就職した。
仙台市内の営業所に配属されたが、自分の思いとのギャップを感じ、1年ほどで退職した。その後、自分に何が合うのか見つけるため商社や問屋でも働いた。20代で大阪市の設計事務所に勤務していた時、1次産業施設の設計や農畜産物の育成ノウハウを提供できる人が少ないことに気付き、自ら挑戦しようと決意した。
新しい所で独立したいと、68年に28歳で札幌市内に事務所を開設。学生寮の設計などを行っていたが、30代の頃から農畜産施設の設計に携わり、生産者と出会って知識を増やした。苫小牧の畜産関係者とも交流が増え、89(平成元)年ごろ、市内明徳町の土地と建物を購入し、93年10月に農研百姓塾を設立した。
会社では、土と自然環境と人間をテーマに掲げ、どうすれば有機肥料だけで農産物生産が可能か模索し続けてきた。鶏ふんを主原料とした有機肥料を開発し、農畜産施設の起案や施工、管理を提案した。近年は、農畜産品や海産物の加工品を製造し、全国の物産展への出展に力を入れている。保存料や着色料を使用しないベーコンブロックなどが人気を呼び、全国各地に約4000人の会員ができた。
だが、今年は新型コロナウイルスの影響で、全国の百貨店で開催予定だった物産展が相次いで中止に追い込まれた。出展に向け商品を増産していたため途方に暮れたが、3月に札幌商工会議所ホームページの掲示板、4月に全国ネットのテレビ番組で取り上げられ、全国の消費者から注文が殺到した。
ネット通販の購入者から温かい励ましのコメントも寄せられ、「人生でこれほど人の温かさを感じたのは初めて。感涙の極み」と感謝する。6月に入ってからは、物産展も徐々に開かれるようになった。
「家族においしい物を食べさせたい」。子を思う母親のような気持ちをいつも忘れない。「食べ物の大切さを根底に持ち、おいしい物を作り続けていく」と笑顔を見せた。
(室谷実)
鈴木 孝則(すずき・たかのり) 1940(昭和15)年5月、宮城県塩釜町(現塩釜市)生まれ。同市内の高校卒業後、電機メーカーや建築設計事務所勤務などを経て、93年10月に苫小牧市明徳町で農研百姓塾を設立。地域のイベントにも出展し、道産牛や豚の加工品などを販売している。千歳市末広在住。