(11)母校東高へ赴任 部活動存続危機にも直面 試合後に「勝った節」歌声響く

  • 特集, 私と苫小牧 アイスホッケー
  • 2020年6月18日
助っ人を借りて南北海道新人大会対苫西戦に臨む白いユニホームの苫東。苫小牧民報撮影=2010年2月6日、沼ノ端スケートセンター(現ダイナックス沼ノ端アイスアリーナ)

  教員人生始まって以来の緊張感にさいなまれながら、2007年4月に苫小牧東高へ赴任した。創部2年目から携わった苫小牧南、23年ぶりの男子部復興を果たした苫小牧西ではたくさんの支えもあって自分の思い通りにアイスホッケー指導ができた。ただ、母校には歴史と伝統が詰まっている。どこか神経質になっている自分がいた。

   当時の苫東アイスホッケー部は05年から始まった普通科推薦入試制度の恩恵もあり、男子30人、女子8人を抱える大所帯だった。有力選手がそろい、06~07年に2年連続で高校総体準優勝。苫西時代に何度も対戦してきたことに加え、07年3月に苫東を巣立った長男の渓也から部の様子を聞く機会もあり、イメージは何となくできていた。

   ただ、監督に就いて間もなく違和感を覚えた。競技レベルの高さには目を見張ったが、大人数の弊害か意識の部分で選手ごとに温度差があり、チームとしてのまとまりに欠けていた。夏に苫小牧で開かれる全国選抜大会では準々決勝で釧路江南に2―4で惜敗。チーム方針を継承しつつ自分の色も出していく―。指導人生の中では初体験の責務もあり、正直パニックに陥っていた。

   それでも08年1月の高校総体までに立て直し、3年連続の準優勝を果たせた。徐々に母校での指導が軌道に乗りかけたとき、再び大きな困難に直面した。08年度を最後に苫東の普通科推薦入試が終了。本来の入試制度に戻ったはずが、「もう東高のアイスホッケー部には入れない」とのうわさが中学生に広まった。入部者数は年を追うごとに減少。09年の道大会後に当時の3年生が引退すると、新チームにはわずか3人しか残っていなかった。

   10年1月下旬に開幕する南北海道新人大会参加は絶望的。そこで力になってくれたのが、野球部と硬式テニス部の生徒たちだった。競技経験の有無を問わず「協力させてほしい」と助っ人を買って出たのだ。それぞれ本来の部の練習が終わると学校リンクに足を運び何時間も特訓。目を見張るほど意欲的で、わずか2カ月ほどだったが日増しに成長する姿に感銘を受けた。

   新年度となった4月に9人の1年生が入り、無事に再出発できた。部活動存続の危機に直面した少人数時代だったが、伝統を見詰め直すきっかけにもなった。かつて歌い継がれていたアイスホッケー部の歌を、OBの一人として部員たちに伝承。試合前に円陣を組んで歌ったほか、勝利すれば「勝った節」で健闘をたたえる。私が知る苫東アイスホッケー部本来の姿に戻った気がした。

  (構成・北畠授)

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